神様の言葉をどのように受け止めるか個人差があります。イエス様の教えは軽くささいなこととして聞き流す人もいれば、反対に、すごく重大で大切な言葉として受け止める人もいます。そして、イエス様の言葉を重く大事なこととして評価し、いつも注意を向けている人は祝福され良い実を結びます。その人は30倍、60倍、100倍の実を結ぶ人のようです。(詩篇1篇、マルコ4.20)イエス様は次のように言われました。
(24)
また彼らに言われた。「聞いていることに注意しなさい。あなたがたは、自分が量るその秤で自分にも量り与えられ、その上に増し加えられます。
塚本虎二という聖書学者はこの箇所を次のようにわかりやすく意訳しました。
(4:24)
また彼らに言われた、「(わたしから)聞くことに気をつけよ。(わたしの言葉を)量る量りで、あなた達も(神に)量られる。そして(よく聞く人は、持って いる上になお)つけたして与えられる。
イエス様は「聞く耳があるなら、聞きなさい。」と言われます。(23)その「聞く耳」とは、「聞いていることに注意すること」です。神様のことばに注目し、観察し、研究し、何度も思い返すことです。その人にとってはイエス様のことばは最も大事なことです。中学生が好きな人をいつも探し、注目し、いつも考えてしまうように、イエス様のことばをいつも求める人は、神様にも喜ばれ、良いもので満たされます。その人は神様から「自分にも量り与えられ、その上に増し加えられます。」神様の言葉を大きく評価し注意している人は本人が思ってもみない良い結果をもたらします。まさか、ここまで神様の支配や祝福が広がり大きくなるとは!と驚く日がきます。
(26-32)
またイエスは言われた。「神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、
夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。
地はひとりでに実をならせ、初めに苗、次に穂、次に多くの実が穂にできます。
実が熟すと、すぐに鎌を入れます。収穫の時が来たからです。」
またイエスは言われた。「神の国はどのようにたとえたらよいでしょうか。どんなたとえで説明できるでしょうか。
それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときは、地の上のどんな種よりも小さいのですが、
蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張って、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」
その人が神様の言葉を求め、喜び、大事に思っているかは誰の目にも分かるようになります。「隠れているもので、あらわにされないものはなく、秘められたもので、明らかにされないものはありません。」(22)神様のことばを大事にしているか軽んじてるかは結果が必ず出ます。「持っている人はさらに与えられ、持っていない人は、持っているものまで取り上げられてしまうからです。」(25)
イエス様のことばによって世界は作られ、今もイエス様のことばによって世界は動いています。それは事実です。神様のことばに今日も注意を向け、求め、考え、従いましょう。神様の国はみことばによって作られる祝福の世界です。ハレルヤ!
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