2023年2月16日木曜日

マルコの福音書13.1-13

 この世には美しいもの、素晴らしいものが沢山あります。良いものは全部、神様からのプレゼントです。が、同時にすべてに罪が入り、ウソが入り、貪欲さが入ってしまっているのも事実です聖書はそれらはやがて消え去り滅び去ると教えています。


ある時、弟子の一人が神殿のすばらしさに見とれていました。
この神殿は当時誰もが驚く素晴らしい建築だったようです。でも、中身はなく、祈りも賛美もなく、「強盗の巣」と言われるほどの貪欲な商売の場所となっていました。見かけと中身は全然違いました。

(マルコ 11:15) 
イエスは宮にはいり、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、
(…中略…)そして、彼らに教えて言われた。「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。」

イエス様はこの神殿は必ず崩壊すると預言し、この預言は紀元70年に実現しました。

1 イエスが、宮から出て行かれるとき、弟子のひとりがイエスに言った。「先生。これはまあ、何とみごとな石でしょう。何とすばらしい建物でしょう。」
2 すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」

イエス様は中身のない神殿を悲しみ、また偽善に満ちた、見かけだけの祭司たちや律法学者たちを怒り、「彼らは人一倍厳しい罰を受ける」とおっしゃいました。(マルコ12.40)

やがてこの世のすべては神様によってさばかれます。その時に嘘も虚栄も貪欲さも、すべての罪は消えていきます。神殿の崩壊を聞いた弟子たちはイエス様に「いつそのようなことが起こるのでしょうか」と質問しました。

4 「お話しください。いつ、そういうことが起こるのでしょう。また、それがみな実現するようなときには、どんな前兆があるのでしょう。」
5 そこで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
6 わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそそれだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
7 また、戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
8 民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからですこれらのことは、産みの苦しみの初めです

この預言は2つの面があります。1、もう実現した面、と 2、これから実現する面です
1.もう実現した面→紀元70年にエルサレムはローマ軍によって神殿は壊されました。
2.これから実現する面→この世の終わりに向かってイエス様が言われた通りのことが起こります。

2.のこれからのことですが、この世の終わりにはニセのキリストが大勢現れます。なのでイエス様はあらかじめ「惑わされないように気をつけなさい」と言われました。
ニセものはわかります。判別する方法は、聖書の教えと合ってるかどうかです。聖書は真理です聖書と違うことを教える人はニセモノです。イエス様は今から「人に惑わされないように気をつけなさい。」と言ってくださっています。

また、この世の終わりには戦争や地震やききんが起こり増えていきます。まさに今は終わりに近づいている時代ですですが、イエス様は弟子たちに「あわててはいけません。」とおっしゃいました。(7節) 他にも「心配してはいけない」「恐れてはならない」とも書かれています。

さらに、この世の終わりには信仰者への迫害が激しくなります。イエス様を信じているからという理由で殺される人も出ます。それでも恐れなくていい理由は、信仰者には聖霊が与えられ、どのように対応したらいいか、どのように答えたらいいか、神様が必ず教え助けてくださるからです。御霊の実は平安です。(ガラテヤ5.22)

9 だが、あなたがたは、気をつけていなさい。人々は、あなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは会堂でむち打たれ、また、わたしのゆえに、総督や王たちの前に立たされます。それは彼らに対してあかしをするためです
10 こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。
11 彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です
12 また兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを死に至らせます。
13 また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。


今もイエス様を信じることで迫害や妨害を受けることがあります。でも、その苦しみの中でこそ神様への信頼は強くなり、生きておられる聖霊の働きを体験することができます。一方で、迫害を受けるとすぐに信仰をすててしまう人もいるのも事実です

(マルコ 4:16-17) 
岩地に蒔かれるとは、こういう人たちのことです――みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、(…中略…)みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。


イエス様を信頼しつづけて忍耐する人は救われます。
その実例ですが、イエス様が天に昇天された後、弟子たちは激しい迫害に会い、イエス様の弟子だから、という理由で暴力を受け町から追い出されました。その時、彼らは聖霊に満たされて喜んでいました。


(新約聖書 使徒の働き5.41-42)
そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。
そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。


長崎で十字架につけられた26人のクリスチャンたちも最後まで喜んでいたという記録があります。聖霊が与えられると永遠の祝福がはっきりとわかり、苦しみの中でも喜ぶことができます。本人が偉人なのではなく、聖霊なる神様が素晴らしいからです

僕らも、今も程度の差はあるけど迫害されたり苦しめられたりすることがあります。その時、神様ははっきりと「心配しなくてよい」と言われます。(11節) その時どうしたらいいか、何を話したらいいか、教え導いてくださるのは聖霊ご自身だからですこの神様に信頼しつづけることが「耐え忍ぶ」という意味です。(13節)

聖書は僕らに希望を与えてくださっています。信仰ゆえの苦しみ悲しみはあります。その時になって慌てないように、心配しないように、今から教えて下さっています。迫害を受けたならイエス様は「喜び踊りなさい」とおっしゃいます。天の報いが「大きい」からです

(マタイ 5:11-12) 
わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです
喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。

今日、もしもイエス様のために苦しめられることがあったら喜びましょう。この世の楽しみやこの世の栄光、評判は消え去ります。この世の権力や富の力も消え去ります。でも、イエス様の栄光と力は永遠です虚しく消える美しさや強さや富ではなく、永遠に続くイエス様の支配と栄光をもとめましょう。そこには消えることのない喜びがあります。ハレルヤ!

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