ヨシュア記17章
僕らが毎日ゴロゴロばかりいて、それでいて「神様が祈りに答えてくれない」とか「良いものをくれない」と文句を言うなら大間違いです。聖書は明らかに「働きなさい」と教えています。
私たちは、あなたがたのところにいたときにも、働きたくない者は食べるなと命じました。ところが、あなたがたの中には、何も仕事をせず、おせっかいばかりして、締まりのない歩み方をしている人たちがあると聞いています。こういう人たちには、主イエス・キリストによって、命じ、また勧めます。静かに仕事をし、自分で得たパンを食べなさい。しかしあなたがたは、たゆむことなく善を行ないなさい。兄弟たちよ。
イエス様を信じた人はキリストのからだの「器官」として神様を信頼しながら隣人と神様を愛するために働き、良い行ないをするように作られています。
(新約聖書 1コリント 12:27)
あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
(新約聖書 エペソ 2:10)
神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。
神様はイスラエル人たちに土地を与えてくださいます。神様が与えてくださるのですが、実際に戦うのはイスラエル人たちです。彼らが勇気と力を持てる理由は「神様が一緒にいてくださる」「神様が勝利させてくださる」ということばへの信頼でした。マナセ部族のの中に「マキル」という人が出てきます。彼は「戦士」だったので、良い土地を手に入れることができたと書かれています。
1 マナセ部族が、くじで割り当てられた地は次のとおりである。マナセはヨセフの長子であった。マナセの長子で、ギルアデの父であるマキルは戦士であったので、ギルアデとバシャンが彼のものとなった。
マキルは神様が与えてくださった土地を受けました。それは彼は戦士として神様を信頼して戦って得たものです。ゴロゴロして得たのではありません。
次にそれとは真逆の人たちが書かれています。マナセ族は最高の土地を与えられましたが、最後までカナン人の町を占領することができず、カナン人を追い出せませんでした。「できなかった」というよりも「神様に従わなかった」のです。
12 しかしマナセ族は、これらの町々を占領することができなかった。カナン人はこの土地に住みとおした。
彼らは神様が滅ぼすと言われたカナン人をそのままにしました。それでいてヨシュアに文句を言います。すばらしい土地を与えられているのに、「人数の割にはここは狭すぎます。もっと多く与えてくれないんですか?ここ一カ所だけですか?」と文句を言っています。「ヨセフ族」とはマナセ族とエフライム族の総称です。
14 ヨセフ族はヨシュアに告げて言った。「主が今まで私を祝福されたので、私は数の多い民になりました。あなたはなぜ、私にただ一つのくじによる相続地、ただ一つの割り当て地しか分けてくださらなかったのですか。」
彼らは「狭い」と言いますが、狭い理由は彼らがカナン人を追い出していないからです。ヨシュアは彼らに森を切り開くように命令しますが、彼らはいろんな言い訳をして動きません。
15 ヨシュアは彼らに言った。「もしもあなたが数の多い民であるなら、ペリジ人やレファイム人の地の森に上って行って、そこを自分で切り開くがよい。エフライムの山地は、あなたには狭すぎるのだから。」
16 ヨセフ族は答えた。「山地は私どもには十分ではありません。それに、谷間の地に住んでいるカナン人も、ベテ・シェアンとそれに属する村落にいる者も、イズレエルの谷にいる者もみな、鉄の戦車を持っています。」
彼らが動きたくない本当の理由は、神様を信じないで敵の戦車を見て恐れていることです。ヨシュアは彼らの言い分を認めず、あくまで自分たちで切り開くように、そしてカナン人を追い払うようにと言います。
17 するとヨシュアは、ヨセフ家の者、エフライムとマナセにこう言った。「あなたは数の多い民で、大きな力を持っている。(…中略…)
18 山地もあなたのものとしなければならない。それが森であっても、切り開いて、その終わる所まで、あなたのものとしなければならない。カナン人は鉄の戦車を持っていて、強いのだから、あなたは彼らを追い払わなければならないのだ。」
僕らもリスクばかりを計算して動かず、文句ばかりを言うことがあります。神様の答えは明快です。「恐れてはならない。おののいてはならない。強くあれ。雄々しくあれ。」(ヨシュア10.25)です。敵が強く見えても神様に勝てるはずがありません。一緒にいてくださる神様は最強の方です。
今日も僕らはイエス様のからだの器官です。僕らの心もイエス様のものとされました。神様が良い行ないのために用いてくださる僕らの心、口、手、足です。主にささげましょう。主が用いてくださいます。
(新約聖書 ローマ 12:1-2)
あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
(新約聖書 ローマ12.7-13)
奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。(…中略…)勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。
主は僕らを用いてくださいます。僕らが思う以上に良いものを与えようとしてくださっています。主は良い方です。ハレルヤ!
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