2023年2月21日火曜日

イザヤ書59章

 僕らは「あいつが悪いからこうなった、こいつのせいでこうなった」と思います。もちろん聖書は罪と悪を暴きます。預言者イザヤは当時の彼ら(イスラエル人たち)がどんなにひどいことをしているかを大声で伝えます。


3 実に、あなたがたの手は血で汚れ、指は咎で汚れ、あなたがたのくちびるは偽りを語り、舌は不正をつぶやく。

4 正しい訴えをする者はなく、真実をもって弁護する者もなく、むなしいことにたより、うそを言い、害毒をはらみ、悪意を産む。



当時のイスラエル人たちの罪は大きく、ウソ、悪口、暴力、殺人が当たり前になっていました。



6 彼らのわざは不義のわざ、彼らの手のなすことは、ただ暴虐。

7 彼らの足は悪に走り、罪のない者の血を流すのに速い。

彼らの思いは不義の思い。

破壊と破滅が彼らの大路にある。

8 彼らは平和の道を知らず、その道筋には公義がない。

彼らは自分の通り道を曲げ、そこを歩む者はだれも、平和を知らない。



ひどい国、悪い国になってしまいました。人々の罪を厳しく大声で指摘していたイザヤですが、途中から「彼らが悪い」というのをやめます。

預言者イザヤは「あいつらが悪い」のでなく「私たちの罪ですと告白し、自分も神様にそむいている一人であることを認めます。



12 それは、私たちがあなたの御前で多くのそむきの罪を犯し、私たちの罪が、私たちに不利な証言をするからです私たちのそむきの罪は、私たちとともにあり、私たちは自分の咎を知っている。

13 私たちは、そむいて、主を否み、私たちの神に従うことをやめ、しいたげと反逆を語り、心に偽りのことばを抱いて、つぶやいている。



神様は罪人を裁きます。正しく怒り、報復します。正しく裁き、滅ぼす方です。その神様は恐るべき方です



18 主は彼らのしうちに応じて報い、その仇には憤りを報い、その敵には報復をし、島々にも報復をする。

19 そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。

主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。



同時に神様は心を痛めます。「彼らが悪い」と言っていたのに、イザヤは途中から「私たちの罪…」と言うようになったと同じように、怒り裁く神様が、悔い改めない人々の罪を「わたしの罪」のように連帯して彼らを救おうとなさいます。



15 主はこれを見て、公義のないのに心を痛められた。

16 主は人のいないのを見、とりなす者のいないのに驚かれた。

そこで、ご自分の御腕で救いをもたらし、ご自分の義を、ご自分のささえとされた。



怒り、人々を滅ぼす神様は、その怒りと裁きを受ける罪人の代表として、罪のないイエス様をこの地上に遣わし、神様の呪いを受けて殺されました。自分の罪を認めて方向を変える人は救われます。イエス様は僕らの代わりに苦しみを受け、神様の怒りを受けてくださいました。神様にとっても、罪は他人ごとではありません。上から裁くだけの神様ではありません。


20 「しかし、シオンには贖い主として来る。

ヤコブの中のそむきの罪を悔い改める者のところに来る。」


罪を認め、方向を変えて神様に戻る人は赦されます。悔い改めて神様に戻った人は、いつも神様のことばを聞けます。そして、いつも神様の霊がその人と一緒にいます。


21 「これは、彼らと結ぶわたしの契約である。」と主は仰せられる。「あなたの上にあるわたしの霊、わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、すえのすえの口からも、今よりとこしえに離れない。」と主は仰せられる。



神様は人を批判してるだけの方ではありません。罪まみれの人の側に降りて来てくださり、自分のことのように神の怒りを受けに来てくださいました。

僕らも「あいつが悪い、こいつが悪い」と言うだけで終わってはなりません。罪は僕ら全体の問題です使徒パウロはこのイザヤ59章の罪はすべての人にあると書いています。(新約聖書ローマ3章)そして、他人の罪を自分のこととしてとりなし、祈り、犠牲を払ってくださるのがイエス様です。神様は怒る神様です同時に、憐れみ、恵み、赦す神様です。ただ、感謝しましょう。威張って他人を批判している場合ではありません。十字架のイエス様の前にひれ伏し、感謝をささげましょう。


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