神様はイスラエル人たちの中から神様に専門に奉仕する部族を選ばれました。それがイスラエルの中の「レビ人(レビ部族)」です。
他の人たちは収穫を得るための土地を与えられますが、「レビ人」だけはそのような土地は与えられません。彼らの生活の糧は他の人々が神様にささげるものの中から与えられます。レビ人は他の仕事はせず、フルタイムで霊的な仕事をする人たちです。
神様は他の部族すべてに必要な土地を与えられました。他の人たちが終わったところで、レビ人たちは自分たちの住むところを下さい、と指導者ヨシュアに言います。彼らは一番最後です。彼らは神様のしもべです。
1 そのとき、レビ人の一族のかしらたちは、祭司エルアザルとヌンの子ヨシュア(この2人がイスラエルのトップの指導者)とイスラエル人諸部族の一族のかしらたちのところに来て、
2 カナンの地のシロで、彼らに告げて言った。「主は、私たちに住むべき町々と、家畜のための放牧地とを与えるよう、モーセを通して命じられました。」
3 それで、イスラエル人は、主の命令で、彼らの相続地から、次の町々とその放牧地とをレビ人に与えた。
霊的な仕事をする人たちにも生活は必要です。また、彼らは家畜も所有しています。聖書によると、彼らが住む町は大きさが決まっています。たて900メートル、よこ900メートルの正方形の町です。ちょうど僕が住んでいるモエレ町内会よりもちょっと小さいくらいです。そこにレビ人が集まって生活しました。この町の周りには450メートルの家畜のための放牧地がありました。(旧約聖書 民数記35章)そのような町が48個、ちょうどイスラエルの国中に散らばるように与えられました。
41 イスラエル人の所有のうちで、レビ人の町は、全部で四十八の町と、その放牧地とであった。
42 これらの町には、それぞれその周囲に放牧地があった。これらの町はみなそうなっていた。
今の世界に適用するなら、ちょうどどこの地方にも教会があってそこで神様に仕える牧師や宣教師たちが住んでいるかのようです。霊的な面を支えるレビ人が国中に住んでいました。そしてイスラエル人たちは彼らの生活を保証する責任がありました。このことは旧約のイスラエル人たちだけでなく、新約聖書の教会あての手紙にも何度も書かれています。
(新約聖書 1テモテ 5:17-18)
よく指導の任に当たっている長老(牧師)は、二重に尊敬(報酬)を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのためにほねおっている長老は特にそうです。聖書に「穀物をこなしている牛に、くつこを掛けてはいけない。」また、「働き手が報酬を受けることは当然である。」と言われているからです。
聖書は神様に専門に仕える者たちの生活を保証するようにと何度も強調しています。
(新約聖書 1コリント 9:7)
いったい自分の費用で兵士になる者がいるでしょうか。自分でぶどう園を造りながら、その実を食べない者がいるでしょうか。羊の群れを飼いながら、その乳を飲まない者がいるでしょうか。
(1コリント9.14)
主も、福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます。
使徒パウロは働き人の生活を支えるようにと書いていますが、逆のことも言っています。彼自身はその権利を喜んで手放し、報酬がなくても喜んで主に仕えることができる、と言っています。実際にパウロは教会からの生活費を受け取らず、自分で他の仕事をして生活していた時期もあります。
僕らは聖書から二つの面を教えられます。
まず1つ目。教会は献身的に霊的な仕事をする人たちの生活が困らないように十分に配慮して与える責任があります。
そして2つ目。逆に霊的な働き人たちは報酬のために仕事をするのでなく、報酬があってもなくてもイエス様のために働く自由があります。お金のためとか、報酬がなければ奉仕しない、というのは献身者ではありません。
使徒パウロはイエス様のためなら、本来受けるべき報酬を受けないと言い切ります。パウロは献金や報酬を受け取ることに対しては全く自由です。こうでなければ、ということがありません。
(新約聖書 1コリント 9:15-19)
しかし、私はこれらの権利(報酬)を一つも用いませんでした。(…中略…)もし私がこれを自発的にしているのなら、報いがありましょう。(…中略…)では、私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに報酬を求めないで与え、福音の働きによって持つ自分の権利を十分に用いないことなのです。私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。
生活に必要なものは、神様が必ず与えてくださいます。霊的な仕事に呼ばれた人たちは神様が必ず養ってくださいます。それは教会を通して与えられます。教会は十分に霊的な働き人を支える必要があります。そして逆に働き人たちはお金を要求するべきではありません。お金を求めるのではなく、神様を第一に求め仕えることが正解です。神様は必ず与えてくださいます。(これが逆だとダメです。献身者はお金を要求し、教会はタダ働きを要求する…)主を第一に求める時に、主は必ず必要なものを豊かに与えてくださいます。
(新約聖書 マタイ 6:31-33)
何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。(…中略…)あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
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