ヨシュア記を読むと「〇〇族には相続地として〇〇が与えられた」
43 こうして主は、
45 主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、
これを読むイスラエル人たちは泣くほど感動します。
なぜなら、この時から1000年ほど前に(年代は諸説あり)、神様は先祖アブラハムに「この地をあなたの子孫(イスラエル)に与える」と約束されました。神様はその子孫たちに「この土地を与える」と何度も約束されています。(旧約聖書創世記12章、13章、17章など多数。)
そして、神様からの約束が実現するまでにどんなに大変だったかを思い出します。そして「主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した。」という現実に感動します。
先祖たちの苦労、そして自分たちの苦労が走馬燈のとうに思い出されます。
なぜなら、この時から1000年ほど前に(年代は諸説あり)、
そして、
先祖たちの苦労、
先祖アブラハムが1000年前に手に入れた土地はわずかに奥さんの墓地だけでした。その後400年間は子孫たちは手に入れるはずの土地を離れ、奴隷にされ苦しめられます。土地や祝福の約束はどうなったのか…と思いたくなるような長い年月です。長い忍耐の末、やっと奴隷から脱出していよいよ祝福の土地に住める、と思いました。でも、待っていたのは荒野での40年の荒野の放浪生活でした。放浪生活の原因は彼らの不信仰です。だのに、今、イスラエル人たちはこの土地を全面的に手に入れています。もちろんまだ戦いは続きますが、今までのことを考えると感動しかありません。
だから、神様が下さった町の名前を一つも漏らさず、感動と愛着をもってリストアップしています。一つ一つの町の名前が神様の愛と力と誠実さを表しています。その後のことばがこれです。
だから、神様が下さった町の名前を一つも漏らさず、
43 こうして主は、
44 主は、彼らの先祖たちに誓ったように、周囲の者から守って、彼らに安住を許された。すべての敵の中で、ひとりも彼らの前に立ちはだかる者はいなかった。主はすべての敵を彼らの手に渡された。
45 主がイスラエルの家に約束されたすべての良いことは、一つもたがわず、みな実現した。
実はこの時まだ占領すべき土地は残っています。でも、
(旧約聖書 イザヤ書 55.10)
雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、
ヨシュア23章は指導者ヨシュアの遺言です。彼は神様の約束が実現したことを宣言します。「それは、一つもたがわず、みな、あなたがたのために実現した。」(ヨシュア23.14) ですが、同時にまだこの土地の中には追い 払うべき国民が生き残っていることと、彼らと交わる危険性について警告しています。
課題が全く終わったわけではありません。それでも、今までの歩みを振り返るときに、圧倒的に主のことばは実現しています。
僕らの人生を振り返っても同じです。神様が聖書を通して僕らに教えて下さったことは全部その通りになって恐ろしいほどです。
そしてこれからも神さまのことばは実現します。
この神様の約束を聞き続け、信頼しつづける人はいつも希望と喜びに満たされます。
この神様の約束を聞き続け、
(新約聖書 マタイ 24:35)
この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
この天地は滅び去ります。しかし、
今日も人のことばでなく、人の知恵でもなく、主のことばを求め信頼しましょう。信頼する人は良いものに欠けることがありません。
(旧約聖書 詩篇 119:165)
あなたのみおしえを愛する者には豊かな平和があり、つまずきがありません。
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