神様の願いは隣人を自分自身のように愛することです。(マルコ12.33、ガラテ5:14など多数あります。)特に信仰者の仲間はお互いにキリストにつながる体の一部だと聖書は言います。隣人は自分の一部でもあります。
(新約聖書 1コリント 12:26-27)
もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
これはイスラエル人たちにとって大事なことでした。国全体が共同体であり、他人(他部族)の苦しみは自分のことでした。それで、3つの部族は先に土地が与えられましたが、全部の部族に土地が与え終わるまで一緒に戦い続けました。そのことを、指導者ヨシュア喜び、評価し、祝福しています。
2 彼らに言った。「あなたがたは、主のしもべモーセがあなたがたに命じたことを、ことごとく守り、また私があなたがたに命じたすべてのことについても、私の声に聞き従った。
3 今日まで、この長い間、あなたがたの同胞を捨てず、あなたがたの神、主の戒め、命令を守ってきた。
「自分さえよければ他は関係ない」というのは聖書の教えではありません。ヨシュアは最後まで一緒に戦った3つの部族を祝福します。自分の土地に帰って手にいれた財産を分け合うようにと言います。
6 ヨシュアは彼らを祝福して去らせたので、彼らは自分たちの天幕に行った。(…中略…)さらに、ヨシュアは彼らを天幕に送り返すとき、彼らを祝福して、
8 次のように彼らに言った。「あなたがたは多くの財宝と、おびただしい数の家畜と、銀、金、青銅、鉄、および多くの衣服とを持って天幕に帰りなさい。敵からの分捕り物はあなたがたの同胞と分け合いなさい。」
イスラエルは喜びを分け合う共同体でしたが、これは悪い面でも一緒です。だれかが罪を犯して神様の怒りを受ける時も同じで、罪は一部の人たちだけの罪で終わることがなく、国全体の罪、国全体への神様の怒りがあることも何度も体験してきました。
この時、自分の土地に帰った3部族が勝手に異教の神への祭壇を作った、という噂がありました。これは自分たち全体に被害が及ぶ大変なことです。「その罪は私と関係ない」とは言えません。神様の怒りが国全体に及ぶからです。
10 ルベン族、ガド族、マナセの半部族は、カナンの地にあるヨルダン川のほとりの地に来たとき、そこ、ヨルダン川のそばに一つの祭壇を築いた。それは、大きくて、遠くから見える祭壇であった。
11 イスラエル人はこういううわさを聞いた。「ルベン族、ガド族、およびマナセの半部族が、カナンの地の国境、ヨルダン川のほとりの地、イスラエル人に属する側で、一つの祭壇を築いた。」
もし、この噂が本当でこの3部族が偶像礼拝を始めたのなら、大変なことです。それで、イスラエル全体は彼らを調査しに行き、真相を聞きます。
13 それでイスラエル人は、祭司エルアザルの子ピネハスを、ギルアデの地のルベン族、ガド族、およびマナセの半部族のところに送り、(…中略…)
15 彼らに告げて言った。
16 「主の全会衆はこう言っている。『この反逆は何か。あなたがたはきょう、主に従うことをやめて、イスラエルの神に反逆し、自分のために祭壇を築いて、きょう、主に反逆している。
今まで何度も一部の罪が国全部に神様の怒りを招いたことを思い出して警告しています。罪の影響は一部の人だけで終わりませんでした。
17 ペオルで犯した不義(ペオルで偶像礼拝をし異教の女と淫らなことをした事件)は、私たちにとって小さなことだろうか。私たちは今日まで、自分たちの身をきよめていない。そのために、神罰が主の会衆の上に下ったのだ。
18 あなたがたは、きょう、主に従うことをやめようとしている。あなたがたは、きょう、主に反逆しようとしている。あす、主はイスラエルの全会衆に向かって怒られるだろう。(…中略…)
20 ゼラフの子アカンが、聖絶のもののことで罪を犯し(神様が滅ぼすように言われたものを隠して自分のものにした人がいた)、イスラエルの全会衆の上に御怒りが下ったではないか。彼の不義によって死んだ者は彼ひとりではなかった。』」
調査の結果、今回は彼らが偶像礼拝を始めたのではないことが分かり、全体はホッとします。
今もイエス様を信じる教会は共同体です。「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」とあります。(新約聖書1コリント12.26-17)
誰かが神様に喜ばれ祝福されることは、全員の喜びであり祝福です。逆に誰かが罪を犯すことは全体の悲しみであり、全体を傷つけます。僕らの心と体はキリストにつながる人たち全体に影響するものです。聖書は個人主義を教えていません。神様の願いは隣人を自分のことのように愛し、喜び、関わることです。
今日も神様に喜ばれること、神様と人を愛することを選び、手足を口を主にささげましょう。良いこともでも悪いことでも僕らの選択は全体に影響します。僕らが神と人を愛することは、全体の祝福になります。愛しましょう。仕えましょう。主にささげましょう。祝福は全体に及びます!ハレルヤ!
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