僕らの人生には不安が付きまといます。でも、神様が願っておられるのは僕らが安心していることです。イエス様がお生まれになったことを最初に知らされたのは、羊飼いたちでした。その時、彼らは天使たちの大軍勢は次のように歌いました。
13 すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。
14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和(平安、安心)が、御心にかなう人々にあるように。」
天使たちは、地上の僕らに平安があるようにと祈りつつ歌いました。神様は僕らが安心していることを願っておられるし、そうしてくださる方です。イエス様はおっしゃいました。
(ヨハネ 14:27)
わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
神様に近づくとき、僕らは恐れます。神様に近づくことは裁かれ滅ぼされる罰があることを意味します。預言者イザヤが最初に神様の栄光を見たとき、「ああ。私は、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で(…中略…)しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから。」 と言いました。(イザヤ6.5)羊飼いたちも神様の栄光に照らされたとき、「彼らはひどく恐れた。」とあります。(ルカ2.9)
ところが天の使いは「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。(…中略…)あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。」(ルカ2.10-11)と告げ、次に、御心にかなう人に平安があるように、と祈り歌いました。よく読むと、僕ら全員ではなく、「御心にかなう人々」限定です。
人間である以上、「わたしは神のみこころにかなっている」「わたしは正しい」と言える人はいません。全ての人は御心にかなっていません。その証拠に僕らの人生にはいつも不安がつきまとっています。
そんな僕らのために、イエス様はお生まれになりました。御心にかなわない、汚れた僕らのために、このイエス様は僕らの罪を引き受けて神様の裁きを受け、殺されるために地上に生まれた方です。イエス様の十字架の死と復活によって、僕らの罪は全て赦されます。滅びではなく永遠の命を与えてくださっています。罪の赦しこそ、神様が僕らに与えてくださる平和であり、安心であり、平安です。
今日も神様の願いは地上にいる僕らが「平和があるように」です。イエス様の十字架の処刑によって、もう、神様は僕らを完全に受け入れてくださっています。誰に責められても、悪く言われても、イエス様の十字架による赦しは完璧です。だから、地上にいる僕らには今日も平安があります。平安はイエス様ゆえの平安です。
天使たちは「いと高き所に、栄光が、神にあるように。」と歌いました。「栄光」はヘブル語では「重さ、重要さ」という意味です。当たり前ですが、この世の全ての力、富、知恵、権威、命は神様のものです。重要さは神様のものです。栄光は神様のものです。
ところが、僕らはそれをまるで自分が重要人物であるかのように、背伸びをし、頑張りすぎたり、自分の知恵と工夫で乗り切ろうとしたり、失敗を隠そうとしたりします。その結果は不安です。
栄光を神様に捧げ、重要さを神様に明け渡すことは僕らの平安に繋がります。自分の知恵でも力でもなく、イエス様の十字架の愛によって、僕らは受け入れられます。それ以外の方法はありません。栄光は神様のものです。自分の栄光や考えや力を手放すほど、僕らは平安を得ます。逆に、自分の栄光を求め、自分の力や知恵に頼るほどに平安は失って行きます。「御心にかなう人」の平安とは、栄光や重要さを神様に捧げ、委ね、手放した人の平安です。
天使たちの歌と祈りは完璧です。僕らも栄光を神様にささげましょう。
14 「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和(平安、安心)が、御心にかなう人々にあるように。」
あんなに恐れていた羊飼いたちは喜んでイエス様を探しにいき、喜んで人々に天使からのメッセージを伝えます。平安と喜びはセットです。彼らにもう恐れはありませんでした。安心しきっている人は力があります。羊飼いたちは神様のことばを信じてイエス様を探し、人々に天からのメッセージを伝えます。平安と喜びと賛美はセットです。
15 御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」
16 そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。
17 それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。(…中略…)
20 羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
神様だけに栄光を捧げて状況コントールを明け渡すことと、平安を得ることは比例します。自分のプライドを手放さず、自分の力や知恵や考えを求めることと平安を失うことも比例します。イエス様はおっしゃいました。
(マタイ 6:5-9)
祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。(…中略…)だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
今日もイエス様に明け渡しましょう。栄光は神様のものです。僕らのものではありません。全ての主権は神様にあります。僕らがちゃんと手放して今日も平安を得ますように。主は素晴らしいことをしてくださいます。ハレルヤ!
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