2023年2月9日木曜日

ルカ2.8-11

 クリスマスはイエス様の誕生日と言われますが、正確にはいつお生まれになったのかは不明ですこの世界を造った神様が人となって来てくださったので誕生日ではなく「降誕日」と言います。


聖書はイエス様がお生まれになった時のことを書いています。イエス様が地上に来てくださったことは「大きな喜び」です


(ルカ2.10-11)

御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです


イエス様が来てくだったことを聖書全体から読むと、以下の2つの目的があることがわかります。


救うためー私たちが受ける神様の怒りと裁きを身代わりに引き受けるため。

②見えない神様を見えるように教えてくださるため。


1つずつ説明します。


救うためー私たちが受ける神様の怒りと裁きを身代わりに引き受けるため。


僕らは罪があります。全員神様を裏切り、神様から離れ、さまよっています。その先は死であり、滅びです

神様が命であり、神様が祝福そのものです。なので、神様から離れてさまよっている人は、まるでコンセントが抜けたまま、動かない、調子悪い家電のようです。アンテナに繋がってないテレビとか、大事な線が繋がってないと、どんなに良い機械も動きません。

そのように僕らは神様から離れさまよい、本来の自分らしくない、変な人生を送り、その先は死に向かっています。そして死後、神様の裁きに会うことが決まっています。


(ヘブル 9:27)

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている


イエス様が来られる前、神様は僕ら人間に罪の赦しの方法を伝えられました。それは、生きている動物を連れ来て、その頭に手を置いて、罪の告白をし、罪の責任を動物に転化して神様に赦しを願う方法です祭司はその動物の首を切って血を流し、動物は罪のために殺され、焼かれ、罪を告白した人は赦されました。これが神様の定めた方法でした。


(レビ 1:4) 

その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置く。

それがその人のためのなだめとなり、彼は受け入れられる。


動物が殺されるたびに、神様は罪に対して命を要求しそのままで見過ごすことはないことを人々は自覚しました。罪と裁きの重さを、動物が苦しんで死んでいく方法で神様は示して来られたし、この方法しか人類には与えられていませんでした。

そして、イエス様がこの地上に来られたのは、まさに、この「いけにえ」として殺されるためです


マリヤが妊娠した時、天使は婚約者ヨセフに、男の子が生まれる目的は「罪から救ってくださるため」だと言いました。


(マタイ 1:20-21)

「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです

マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」


また、バプテスマのヨハネはイエス様を見て、罪のために殺される羊だ、と言いました。


(ヨハネ 1:29)

ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」


神様ご自身である方が、この地上に赤ちゃんとして来られた目的の一つは殺されるためです。僕らの罪を引き受けていけにえとなり、神様の怒りをなだめるために来てくださいました。イエス様は神様から見捨てられ、十字架の上でこのように叫んでいます。


(マタイ 27:46)

イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。


僕ら全ての人には罪があります。なので、聖なる神様を嫌う心があります。裁きがあるからです裁きには恐れや不安が伴います。神様に近づくと自分の汚れが見えてしまって、できれば、闇の中でそっとして置いて欲しい、ほっといて欲しい、という心があります。最初に天使の栄光とイエス様降誕の知らせを聞いた羊飼いたちも最初は恐れ、不安でした。


(ルカ 2:8-9)

さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。

すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。


羊飼いは当時身分の低い仕事です。当時の資料によると、町で物がなくなると羊飼いのせいだ、と言われていたそうです彼らは教育を受けていない、知恵もお金もない人たちですいつも外で羊と一緒に野宿するような人たちです寒くても羊たちと一緒に外にいるような人たちです

彼らはいつも人から無視されていました。もし、人は羊に用事があっても彼らには用事はありません。当時の人たちからみると、羊飼いはいらない人、無視してもいい人、嫌われる人です

そんな彼らなので、神様の光に照らされる時に、一番怯えるタイプの人でした。誰からも愛されず、見下され、怯える彼らのところに、一番最初に、神様からの喜びのメッセージが来ました。イエス様がこの世に来られたのは「正しい人を招くためではなく、罪人を招くため」です。(マタイ9.13)天使は彼らにこう言ってくれました。


(ルカ 2:11)

きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです


イエス様がこの地上に来られたのは、僕ら全てが確実に墓場に向かい、その先の神様の裁きと怒りに向かっているからです。でも、そんな僕らを愛し見捨てず、救うためにきてくださったのがイエス様です

旧約聖書の時代から、このことは預言されていました。


(イザヤ 9.2-6 

やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。

死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。(…中略…)

ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。

ひとりの男の子が、私たちに与えられる。


イエス様が来てくださった目的の2つ目です


②見えない神様を見えるように教えてくださるため。


神様は友達のいない人、見捨てられた人、誰にも相手にされない人を愛し大切にし友達になろうとしてくださっていることがわかります。

その前にまず、このイエス様こそ、この世を創造なさった神様だと聖書は言います。


(コロサイ 1:15-16)

御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです


僕らには神様は見えません。が、見えない神様が見える人となって降りてきてくださったのがクリスマスです。神様は上にいるだけの神秘的な方では終わりません。僕ら人間のところにまで降りてきてくださる方です。しかも、一番居場所のない、一番助けのない人の近くにいたいと言われるかのように来てくださいます。

まず、イエス様がお生まれになったとき、生まれる場所すらなかったことがわかります。


(ルカ 2:6-8)

マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。


神様はわざわざ生まれる場所がない、助けがない、という状況を選んで来られました。だから、マリヤとヨセフは生まれたばかりのイエス様を餌入れに寝かせるしかありませんでした。伝統的には家畜小屋で生まれたと言われています。不衛生で寒く、そして誰も手伝ってくれない出産です見ててくれたのは動物たちだけです。寂しく不安で、孤独で、汚くて、惨めなところに、世界を作った神様が、あえてその場所に、だれもが見向きもしないところにきてくださいました。


そして、聖書は、すぐ次の行で羊飼いも野宿をしていたことに繋げています。神様は一番汚い人、一番惨めな人、一番孤独な人、一番不安な人、その人の近くにきてくださる方です

神様はそのような方です見えない神様は苦しむ人の味方であり友達です自分は汚れていて、教会はふさわしくない人、そのような人の味方ですそのために来てくださったのがイエス様ですそしてそれを感謝するのがクリスマスです


美味しいものを食べるのも感謝ですが、クリスマスは僕らがイエス様と一緒に友達のない人、助けのない人の近くに行く日です闇の中にうずくまってる人は僕らの周りにいます。その人にこそ、イエス様はきてくださいました。


クリスマスプレゼントとは、もともと神様が助けのない人、嫌われている人、孤独な人を愛していることを表すためのものでした。

イエス様は僕らを愛し、僕らを罪から救うため、死ぬために来てくださった最高に価値のある、命のかかったプレゼントです。そして、クリスマスは孤独な人、助けのない人を神様がどれほどに愛しておられるかを表しています


今年のクリスマス、命がけの神様に感謝、また僕らが少しでもイエス様の愛と憐れみを困っている人、助けが必要な人たちに表すものになりますように。

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