2023年2月6日月曜日

マタイ5.12-16

 布教しましょうとか、イエス様を伝えましょう、とか言われると怖くて無理って思うし「私は隠れクリスチャンでいい。自分だけ助かればいい」「周りと余計な摩擦は作りたくない。迫害なんてとんでもない」と思います。でも、イエス様は心貧しく、弱く、悲しんでいる人たちに「幸いです!」言われた続きでこうおっしゃいます。


(13節)

あなたがたは地の塩です

(14節)

あなたがたは世の光です


イエス様は弱くビビリな人たちに「あなた方は地の塩ですと断言し、「あなた方は世の光です」と言い切ります。塩は味付けです。当時は防腐剤でもありました。方向を失い、腐っていくこの地上に、クリスチャンだけが神様に向かう方向の味をつけ、防腐剤の役目をします。しかも、「なりなさい」でも、「頑張りなさい」でもなく「もう塩になってます。もう、光になってます」という意味です


この世はますます悪い時代になると聖書は言います。


(2テモテ3.1-4)

1終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。2そのときに人々は、自分だけを愛し、金銭を愛し、大言壮語し、高ぶり、神を冒瀆し、両親に従わず、恩知らずで、汚れた者になります。3また、情け知らずで、人と和解せず、中傷し、自制できず、粗野で、善を好まない者になり、4人を裏切り、向こう見ずで、思い上がり、神よりも快楽を愛する者になり、5見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者になります。


そのような腐った時代の中でイエス様につながった人は必ず塩としての役目を持っています。昔は好きだったお金中心、自慢、悪口、淫行をやめたいと思うように変えられます。弱い僕らだからこそイエス様の御国(愛と恵みのご支配)の中に入れられて、イエス様の願いが僕らの心に現れています。こんなに弱くてビビリなのに、気がついたらイエス様の願いの通りにしたい、と思います。


僕らには力がありません。でも、イエス様の支配の中に入っているのは事実です内側はイエス様の思い通りにしたい、という新しい自分がいます。一方で周りを恐れ、周りと余計なトラブルや起こしたくない自分もいます。でも、信仰を表明するのは僕らではなく、僕らの内側に住んでおられる聖霊の働きです聖霊に従う時には恐れがありません。「周りが怖い」と思うのは聖霊の働きではありません。イエス様の御霊が僕らを用いてくださる時、そこには平安と喜びがあります。御霊の実は愛、喜び、平安などなどです。(ガラテヤ5.22-23)

自分の弱さを認め、怖いことを正直に告白し、イエス様にお任せする時には安心感と確信があります。完全な神様の愛を体験する時に、僕らの恐れは消えます。(1ヨハネ4.18)


自分の弱さを認めず、聖霊の働きにお任せしないまま「良い行いをしましょう」と思うと恐れます。隠れて逃げるか、反対に、(レッドブルを飲みまくったりして)無理して「私がやります。頑張ります。」と覚悟します。それは神様のお働きではありません。結果として無神経に配慮もなしに伝道し自分も相手も傷つけます。聖霊の愛がなければ「うるさいシンバル」みたいです。(1コリント13.1)


心の貧しいこんな僕が愛され祝福されていることを知り続けるなら、僕らは自然に地の塩、世の光としての役目を果たします。喜んでこの世とは違う生き方を選びます。この世に気に入られるより、神様に喜ばれ愛される方が嬉しいからです。まるで、愛し合うカップルが親や周りに反対されても一緒にいることを選ぶみたいに、です。神様との愛の関係を選ぶ人は神様の光を反射し、周りの人たちも神様を知るようになります。


(14-16節)

14あなたがたは世の光です山の上にある町は隠れることができません。15また、明かりをともして升の下に置いたりはしません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいるすべての人を照らします。16このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせなさい。人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようになるためです


イエス様によって良い行いをし、イエス様を伝え、地の塩、世の光の役目をすると周りはどうなるか?答えは2つです

①周りも神様をあがめるようになる。②迫害される。


周りの人たちも弱い僕らを愛してくださる天の神様を知り、賛美するようになることは最高の喜びです。でも、実際は②の迫害の可能性もあります。イエス様はそれでも大丈夫とおっしゃいます。


(11-12節)

11わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです12喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々は同じように迫害したのです


迫害されるなら、天ではものすごく喜ばれています。少し前の翻訳では「喜び踊りなさい!」でした。それほどに天の報いと喜びは大きいからです腐っていくこの世を愛するのだから、神様と愛し合うことを選ぶのだから、この世から嫌われるのは当然ですそして神様に喜ばれるのは当然ですイエス様はおっしゃいました。


(ヨハネ 15:19)

もしあなたがたがこの世のものであったなら、世は自分のものを愛したでしょう。しかし、あなたがたは世のものではなく、かえってわたしが世からあなたがたを選び出したのですそれで世はあなたがたを憎むのです


僕らの本音は「天の報いも欲しい。でも、この世でも認められたい。迫害は避けたい」かもしれません。が、イエス様は「ふたりの主人に仕えることはできません」と言われます。(マタイ6.24)僕らは地の塩、世の光になってます。そして、イエス様の思いを僕らが現す時に、周りの人も一緒に神様を賛美するように変えられます。それは最高の喜びです。…そうでなければ迫害です。でも、それもまた天では喜ばれています。どちらに転んでも喜びしかありません。


今日、弱い僕らをイエス様に明け渡しましょう。神様の思いを行動で態度で言葉で表しましょう。どちらにしてもいいことしかありません。ハレルヤ!

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