詩篇11篇
苦しいことや嫌なことがあると僕らはすぐにそこから逃げたいと思います。一日でも一秒でも早くラクになりたいです。
神様が大注目しておられるのは僕らの心の中です。心の中に悪があるかどうかを見ておられます。たとえ表面的に解決したとしても、心の中では密かに暴力や憎しみや高ぶりを抱えたままなら、神様はそれを憎みます。
4 主は、その聖座が宮にあり、主は、その王座が天にある。
その目は見通し、そのまぶたは、人の子らを調べる。
5 主は正しい者と悪者を調べる。
そのみこころは、暴虐を好む者を憎む。
しかも、神様は悪を憎むだけでなく、最終的な裁きを下す方です。
6 主は、悪者の上に網を張る。火と硫黄。燃える風が彼らの杯への分け前となろう。
この詩を書いたときに、ダビデは命を狙われていました。
人は「安全なところに逃げなさい」と言います。でも、彼は「主に私は身を避ける」言います。問題が解決するかどうかよりも、彼が願ったのは聖なる神様の前に受け入れてもらうことです。
1 主に私は身を避ける。
どうして、あなたたちは私のたましいに言うのか。
「鳥のように、おまえたちの山(安全なところに)に飛んで行け。
2 それ、見よ。悪者どもが弓を張り、弦に矢をつがえ、暗やみで心の直ぐな人を射ぬこうとしている。(…中略…)
4 主は、その聖座が宮にあり、主は、その王座が天にある。
神様は正義を愛され、すべてを支配しておられます。なので問題が解決するかどうかよりも、僕らが神様にゆるされ、きよめられ、正しくされたかどうかが大事です。
7 主は正しく、正義を愛される。
直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。
神様の聖なる基準は高く、誰も到達できません。
そんな僕らを赦し、きよめてくださり、心を白くしてくださるのはイエス様だけです。イエス様だけが僕らの罪を引き受け、身代わりに十字架で刑罰と呪いを受けて、その血(命)によって、僕らを白くしてくださる方です。
(新約聖書 黙示録 7:14)
彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。
苦しみに会うとき、悪や不正に圧倒されるとき、僕らの逃げ場はこの世にはありません。唯一の逃げ場はイエス様の十字架の赦しです。どんな人も招かれています。どんな人も赦されます。
(新約聖書 マタイ11:28)
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
今日もイエス様の前に心を注ぎだしましょう。疲れていること、イヤなこと、怖いこと、イエス様に話しましょう。そして、その中で自分もまた仕返しをしたり、悪口を言ったり、憎んだり、心の中で殺したり、そのような罪も告白しましょう。イエス様はその罪を赦し、癒してくださいます。
(新約聖書 ヤコブ 5:15-16)
信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。
ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。
イエス様こそが本当の安全地帯、逃れ場所、シェルターです。自分が考える解決方法は一度保留にしましょう。
そして、イエス様の前に重荷を下ろすように、問題を、苦しみ、罪を祈りましょう。それこそが本当の解決です。
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