マルコ13.1-13
イエス様は世界の王として地上に来られます。それは聖書に何度も預言されていて確定です。だから「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16.15)とおっしゃいます。…ですが、その前には反対する勢力も抵抗します。イエス様は使徒たちに言われました。
(9-10)
あなたがたは用心していなさい。人々はあなたがたを地方法院に引き渡します。あなたがたは、会堂で打ちたたかれ、わたしのために、総督たちや王たちの前に立たされます。そのようにして彼らに証しするのです。
まず福音が、すべての民族に宣べ伝えられなければなりません。
言われた通りに使徒たちは逮捕され、鞭で叩かれ、何度もイエス様について語るのを禁止されました。(使徒の働きに多数)イエス様が歩まれた道と同じです。そして、王たちの前で証言させられました。特にパウロは逮捕されることによってユダヤの王の前でも、ローマ総督の前でもイエス様を証言しました。迫害も苦しみもイヤだし避けたいですが、憎まれ苦しむことは、イエス様につながった証拠です。福音が伝わるのは僕らにとっても神様にとっても喜びです。そして、福音を伝わるのは悪魔にとって怒りでありなんとか阻止すべきことです。
イエス様はあらかじめ迫害されることを伝えてくださいました。そして、その時の対応も聖霊ご自身が教えてくれます。大丈夫です。
(11)
人々があなたがたを捕らえて引き渡すとき、何を話そうかと、前もって心配するのはやめなさい。ただ、そのときあなたがたに与えられることを話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。
キリスト教約2000年の歴史の多くは迫害の歴史です。日本も鎖国時代はキリシタンは激しく苦しめられました。そして、この世の終わりにはそれが激しくなります。「また、兄弟は兄弟を、父は子を死に渡し、子どもたちは両親に逆らって立ち、死に至らせます。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。」(12-13)
僕らがイエス様に呼ばれて神様の子どもとされたのは、キリストの足跡に従うためです。「あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」と聖書は言います。(1ペテロ2:21)迫害は希望でもあり祝福でもあります。報いは大きいから喜び踊りなさい、と言われます。
(マタイ5:11)
わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。
喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。
苦しみを通過した後に祝福と報いがあります。イエス様のための苦しみは測り知れない、重い永遠の栄光をもたらします。(2コリント4.17)「死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」とイエス様がおっしゃいます。僕らはイエス様と一緒に栄光を受けるためにイエス様と一緒に苦しみも受けます。
(ローマ8.17-18)
私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。
今日も苦しみの向こうにある栄光と喜びを見つづけていますように。神様が心の目を開いてくださって、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものかを知り続けることができますように。
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