2023年3月1日水曜日

詩篇15篇

 詩篇15篇

旧約聖書の時代、罪がある人間が神様とお会いするためには、罪を認めて動物の上に手を置き、その動物を身代わりにささげる礼拝が必要でした。聖なる神様に近づくためには罪は清められる必要があります。
全ての人に罪があります。そして罪が赦されなければ神様と一緒に住むことができません。聖書は全ての人が罪がある、と言います。
(詩篇 14:3)
善を行なう者はいない。
ひとりもいない。
そんな僕らが神様に赦され、神様と一緒に生きるように変えられました。神様に受け入られると、実際の生活も変えられていきます。14篇では「善を行う人はひとりもいない」と言った上で15篇は神様に赦され招かれた人が変えられる様子が書かれています。
1 主よ。
だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。
だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。(幕屋も聖なる山も神様の住まいを現しています。)
2 正しく歩み、義を行ない、心の中の真実を語る人。
神様に招かれ、赦され、きよめられた人は神様の前で正しく完全であろうとします。完全にされた人でなければ聖なる神様と一緒にいることはできません。完全にされるのは、イエス様の十字架の血によってです。僕らは聖なる者とみなされています。そして、それにふさわしく変えられていきます。そして神様の前に正しくあろうとする結果、僕らは隣人に対しても誠実に愛をあらわそうとします。
3 その人は、舌をもってそしらず、友人に悪を行なわず、隣人への非難を口にしない。
神様の前で正しくありたいと願う人は、神様の見方と同じような見方をするようになります。
4 神に捨てられた人を、その目はさげすみ、主を恐れる者を尊ぶ。
「神に捨てられた人」はギリシャ語訳では、「神の前で悪をなす者」となっています。僕らは悪と同調しなくなり、ハッキリと神様の側につく人に変えられていきます。この世の損得ではなく、神様の前に聖くありたいと思うようになります。
4 損になっても、立てた誓いは変えない。
5 金を貸しても利息を取らず、罪を犯さない人にそむいて、わいろを取らない。
ここでの利息とは弱い人を苦しめる利息です。聖書は何度も仲間から利息を取って苦しめないようにと教えています。僕らは赦されてきよめられた罪人です。赦された罪人はそのままで終わることなく、必ず変えられていきます。
5 このように行なう人は、決してゆるがされない。
神様の前に正しくありたいと思い、思うだけでなく実行する人は揺らぐことがなくなります。聖書は聞くだけでなく実行しなさい、と繰り返しています。そして、実行する人はどんな嵐が来ても倒れない家のようです。
(マタイ 7:24-25)
わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
僕らも従いましょう。不完全な僕らがイエス様の血によって受け入れれました。その恵みに答えて、真実を語り、正しく行いましょう。悪口はやめて、他人のために祈ることにしましょう。今日も主と一緒に生活しています。僕らのからだは主の住まいです。
(1コリント 6:19-20)
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。

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