2023年3月1日水曜日

詩篇16篇

 詩篇16篇

苦しい時や危険な時に行くべきところは神様のところです。
神様を求めることこそが安全なシェルターです。
1 神よ。
私をお守りください。
私は、あなたに身を避けます。
神様と交わることは、喜びや平安に満たされることと同じです。なぜなら、神様は喜びと平安に満ちた方だからです。神様と交われば幸せになります。
2 私は、主に申し上げました。
「あなたこそ、私の主。
私の幸いは、あなたのほかにはありません。」
8 私はいつも、私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。
私の身もまた安らかに住まおう。
11 あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。
ところが僕ら人間は神様よりも他の方法を神のように大事にし求める悪いクセがあります。神様でないものを神のように求めるなら、それによって苦しめられます。
4 ほかの神へ走った者の痛みは増し加わりましょう。
聖書に登場するあるサマリヤの女は男性によって幸せを得ようとしました。でも、男性たちは神ではありません。彼女を幸せにはせず、むしろ彼女は男性によって傷つけられました。イエス様は彼女に、本当の満たしはイエス様との関係にあると言われます。(ヨハネの福音書4.14-19) 本当に人に幸いを与えてくれるのは神様以外にはありません。
2 私は、主に申し上げました。
「あなたこそ、私の主。
私の幸いは、あなたのほかにはありません。」
ある人はお金で幸せになろうとします。しかし、お金は神様ではなく、お金によって逆に苦しむことがあると聖書は言います。
(新約聖書 1テモテ 6:10)
金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。
神様は僕らに良いものを与えようとしておられます。
神様を信じる人は神様の子どもです。神様を求めることは子どもとして愛されることです。必要なものは全部神様から与えられ満たされます。
(新約聖書 1ヨハネ 3:1)
私たちが神の子どもと呼ばれるために、――事実、いま私たちは神の子どもです。――御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。
神様との交わりは、まるで親からすばらしい財産を与えられるかのようです。
5 主は、私へのゆずりの地所(与えられる財産の意味)、また私への杯です。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。
6 測り綱は、私の好む所に落ちた。(与えられる財産の土地は好ましいところに決まった、という意味)
まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。
全てを満たす神様との交わりは財産です。
その交わりは喜びと平安に満ちる交わりです。
どんな時も、何をするときも、神様が一緒です。どんな時も喜びと楽しみと安心の中を生きることができます。
8 私はいつも、私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。
9 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。
私の身もまた安らかに住まおう。
日常生活のどんな小さな時も、どんな時間も何をしている時も神様と一緒です。それに気が付くことは平安と喜びを与えます。
仕事をするときも、人と関わる時も、そこに神様からの平安と喜びがあるかないかでは全然ちがいます。どんなにつまらない小さなことをする時も神様と一緒だと知るなら、つまらない時間は楽しみと喜びの時間に変わります。しかも、それは永遠です。死で終わることがない永遠のいのちの喜びです。
10 まことに、あなたは、私のたましいをよみ(死後の世界)に捨ておかず、あなたの聖徒に墓の穴(滅びの入り口)をお見せにはなりません。
11 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。
あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。
いつも神様を意識して、人生のすべての出来事に楽しみと喜びが満ちますように。

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