2023年3月3日金曜日

創世記24.1-13

 創世記24.1-13

イエスキリストを信じた人は、まるでキリストの体とつながったようであり、一人ひとりはキリストの器官だと聖書はいいます。
(新約聖書 1コリント 12:27)
あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
信じた僕らの体はもうキリストの体の一部です。なので、大切な宝です。僕らの手足を使って罪を犯すことは、まるでキリストの体を使って罪をするかのようです。キリストの体を傷つけたり汚すようなことはあってはならない、と聖書は教えています。
(新約聖書 1コリント 6:15-16)
あなたがたのからだはキリストのからだの一部であることを、知らないのですか。キリストのからだを取って遊女のからだとするのですか。そんなことは絶対に許されません。
遊女と交われば、一つからだになることを知らないのですか。「ふたりの者は一心同体となる。」と言われているからです。
イエス様を信じた僕らは聖なる人です。聖なるとは「神様のもの」という意味です。これは旧約時代のヤコブの子どもたちも同じでした。ヤコブの子どもたち、子孫たちは神様が「祝福する」と言ってくださった大事な人たちです。
そんなヤコブの大切な娘ディナに大事件が起こりました。
神様が交わってはならない、と言っておられる土地の男に犯され、汚されます。「このようなことは許せないことである。」と聖書は言います。(7節)
1 レアがヤコブに産んだ娘ディナがその土地の娘たちを尋ねようとして出かけた。2 すると、その土地の族長のヒビ人ハモルの子シェケムは彼女を見て、これを捕え、これと寝てはずかしめた。
聖書は「恥ずべきこと、許せないこと」と言いますが、その土地の人たちにとっては「普通のこと」「当然のこと」「いつもやってること」だったようです。いつもはそれで終わるのですが、今回はその後で好きになったので結婚したいと申し出ます。
4 シェケムは父のハモルに願って言った。「この女の人を私の妻にもらってください。」
これはディナにとっては虐待であり、ディナの家族にとっても神様にとっても屈辱です。ヤコブの兄たちは激怒しました。
5 ヤコブも、彼が自分の娘ディナを汚したことを聞いた。(…中略…)
7 ヤコブの息子たちが、野から帰って来て、これを聞いた。人々は心を痛め、ひどく怒った。シェケムがヤコブの娘と寝て、イスラエルの中で恥ずべきことを行なったからである。このようなことは許せないことである。
神様を知らない人たちが「普通のこと」「いつもやってること」「みんなやってること」と言っても、神様にとっては汚辱であり、あってはならないことがあります。それは神様の大事な体の一部が汚されることです。
神様を知らなかった時は罪も「普通のこと」「みんなやってること」です。でも、イエス様を信じた人はそれが忌むべき罪だとわかり、そして、自分もそれを嫌い、戻りたいと思わなくなります。
どんな汚れもきよめられます。イエス様は罪人を愛し、罪人を招いておられ、罪人が洗われ、聖なる人とされます。イエス様を信じることは罪から逃れてきよめられることです。聖書は言います。
(新約聖書 1コリント 6:9-11)
不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。
あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。
イエス様にきよめられ、イエス様の一部となった人は、そうじゃない人と合体することができません。どうしても一致できないと聖書はいいます。
(新約聖書 2コリント 6:14-16)
不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。(…中略…)信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。
イエス様の一部となった体を使う罪を避けなさい、と聖書は繰り返します。
(新約聖書 1コリント6:18-19)
不品行(淫行)を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行(淫行)を行なう者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
神様を知らない人にとって「普通のこと」「いつもやってること」であっても罪です。罪に近づかないことは良いことです。
ヨセフという人は、自分の主人の奥さんに毎日「私と寝ましょう」と誘われました。が、そんな彼女に近づくことさえ警戒して守られました。
(創世記 39:7-10)
主人の妻はヨセフに目をつけて、「私と寝ておくれ。」と言った。彼女は毎日、ヨセフに言い寄ったが、彼は、聞き入れず、彼女のそばに寝ることも、彼女といっしょにいることもしなかった。
僕らが思う以上に神様は僕らのからだを大事にしておられます。
赦され、きよめられた体です。罪を避けましょう。
(新約聖書ローマ12.2)
この世と調子を合わせてはいけません。

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