2023年3月3日金曜日

ルツ記2章

 ルツ記2章

神様を第一にする人には日々の必要は全て与えられる、と聖書は言います。(新約聖書マタイ6.33) その祝福は国籍や人種や資格や能力に関係がありません。(新約聖書ガラテヤ3.28)
ルツの時代の「モアブ人」はイスラエル人の敵でした。なのでイスラエルに住むことは肩身が狭いものです。いじめられることもあったようです。
ルツはその「モアブ人」です。が、イスラエル人である夫と結婚し、その神様を信じていました。夫と死別した時、姑であるナオミは「自分の国に帰りなさい」と言いますが、彼女は夫が死んでもこの神様と、そして姑を愛することを決め、偶像礼拝の故郷モアブに帰るよりもこの神様に従う人生を選びます。
(ルツ1.16)
「あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」
当時、夫を失った女性には何の保証もありませんでした。ただ、神様が守ってくださるという信仰だけが保証です。だからと言ってボーっとしていいのではありません。ルツは精一杯できることをします。
畑に残ったわずかな穂を拾って食料にすることは、当時の最低の仕事でした。今でいう最低賃金でギリギリの生活をするようなものです。ルツは姑を愛し養うためにも働きます。
2 モアブの女ルツはナオミ(姑)に言った。「どうぞ、畑に行かせてください。私に親切にしてくださる方のあとについて落ち穂を拾い集めたいのです。」すると、ナオミは彼女に、「娘よ。行っておいで。」と言った。
ルツは神様と姑に精一杯仕えました。彼女が信頼しているのは仕事ではなく、イスラエルの憐れみ深い神様でした。誰にも見られていなくても、神様は見ていてくださるし、神様には知られています。そして神様は実際に彼女に良くしてくださいました。
3 ルツは出かけて行って、刈る人たちのあとについて、畑で落ち穂を拾い集めたが、それは、はからずもエリメレクの一族に属するボアズの畑のうちであった。
隠れた行為は神様には知られています。そしていつか人にも知られます。ボアズにはルツが今まで神様を信頼し姑を愛し従ってきたことが聞こえていました。それで彼はルツを特別に親切にします。神様のルツへの愛と祝福はボアズを通して与えられました。神様を第一にする人には日々の必要が与えられます。しかも、豊かに与えられます。
9 刈り取っている畑を見つけて、あとについて行きなさい。私は若者たちに、あなたのじゃまをしてはならないと、きつく命じておきました。のどが渇いたら、水がめのところへ行って、若者たちの汲んだのを飲みなさい。」
10 彼女は顔を伏せ、地面にひれ伏して彼に言った。「私が外国人であるのを知りながら、どうして親切にしてくださるのですか。」
11 ボアズは答えて言った。「あなたの夫がなくなってから、あなたがしゅうとめにしたこと、それにあなたの父母や生まれた国を離れて、これまで知らなかった民のところに来たことについて、私はすっかり話を聞いています。
12 主があなたのしたことに報いてくださるように。また、あなたがその翼の下に避け所を求めて来たイスラエルの神、主から、豊かな報いがあるように。」
ボアズは従業員たちにルツを守るように命じます。神様の守りと祝福は人間を通して与えられます。今日も神様は僕らを見ていてくださいます。誰も見ていなくても、神様を第一として人を愛する決断と行動は神様の喜びです。
15 彼女が落ち穂を拾い集めようとして立ち上がると、ボアズは若者たちに命じて言った。「あの女には束の間でも穂を拾い集めさせなさい。あの女に恥ずかしい思いをさせてはならない。
16 それだけでなく、あの女のために、束からわざと穂を抜き落としておいて、拾い集めさせなさい。あの女をしかってはいけない。」
17 こうして彼女は、夕方まで畑で落ち穂を拾い集めた。拾ったのを打つと、大麦が一エパ(23リットル)ほどあった。
何の保証もなく憎まれるはずだったモアブ人のルツはボアズを通して多くの収穫と守りを得ます。ボアズの畑で働けたことも神様のご計画でした。
19 しゅうとめは彼女に言った。「きょう、どこで落ち穂を拾い集めたのですか。どこで働いたのですか。あなたに目を留めてくださった方に祝福がありますように。」彼女はしゅうとめに自分の働いてきた所のことを告げ、「きょう、私はボアズという名の人の所で働きました。」と言った。
20 ナオミは嫁に言った。「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主が、その方を祝福されますように。」それから、ナオミは彼女に言った。「その方は私たちの近親者で、しかも買い戻しの権利のある私たちの親類のひとりです。」
神様を第一にする人は神様に喜ばれます。また、神様の喜びは人を通して現わされます。その祝福は国籍や人種や資格や能力に関係がありません。今日も主を第一にしましょう。そして、今日も貧しい人を大事しましょう。僕らは神様の愛と祝福を現わす器官です。
(新約聖書 1ヨハネ 4:12)
もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

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