ヨシュア記3章
神様のことばは私たちの道だと聖書は言います。どこに進んだらいいのか、神様のことばによって知ることができます。
イスラエル人たちは行ったこともない道を通って目的地に向かいます。神様は道を教えるために、先に祭司たちが担ぐ契約の箱(神様の教えの石板が入っている箱)を進ませ、それについてくるように言われました。
3 「あなたがたは、あなたがたの神、主の契約の箱を見、レビ人の祭司たちが、それをかついでいるのを見たなら、あなたがたのいる所を発って、そのうしろを進まなければならない。
4 あなたがたと箱との間には、約二千キュビト(約900メートル)の距離をおかなければならない。それに近づいてはならない。それは、あなたがたの行くべき道を知るためである。あなたがたは、今までこの道を通ったことがないからだ。」
ところが、目の前は一番増水して危険な、渡ることのできないヨルダン川です。それでも、神様は進むように言われます。神様が川をせき止めて道を作ると言われるからです。
8 あなた(ヨシュア)は契約の箱をかつぐ祭司たちに命じてこう言え。『ヨルダン川の水ぎわに来たとき、あなたがたはヨルダン川の中に立たなければならない。』」
ヨシュアは神様に言われた通りにイスラエル人たちに伝えます。
9 ヨシュアはイスラエル人に言った。「ここに近づき、あなたがたの神、主のことばを聞きなさい。」(…中略…)
11 見よ。全地の主の契約の箱が、あなたがたの先頭に立って、ヨルダン川を渡ろうとしている。(…中略…)
13 全地の主である主の箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は、上から流れ下って来る水がせきとめられ、せきをなして立つようになる。」
祭司たちはヨルダン川の水が止まってから足を入れるのではなく、水の中に足を入れた結果、水が止まると言われています。祭司たちは、「もし水が引かなかったらどうしよう」と不安もあったかもしれません。でも、彼らが神様が言われるように水の中に足を入れる時、みことばの通りに水はせき止められます。
彼らの一世代前(親の世代)は神様が海を分けて道を作ってくださり、奴隷から解放されました。彼らは親からその話を聞いて育ちました。いよいよ自分たちの番です。神様は川に道を開いてくださいます。…ですが、神様のことばを信じて川に足を踏み入れなければなりません。
15 箱をかつぐ者がヨルダン川まで来て、箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、――ヨルダン川は刈り入れの間中、岸いっぱいにあふれるのだが――
16 上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。
17 主の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真中のかわいた地にしっかりと立つうちに、イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。
この体験には2つの目的がありました。
目的その1→ヨシュアがモーセと同じように神様のことばに従うように伝える指導者であることを人々が確信するため。
7 主はヨシュアに仰せられた。「きょうから、わたしはイスラエル全体の見ている前で、あなたを大いなる者としよう。それは、わたしがモーセとともにいたように、あなたとともにいることを、彼らが知るためである。
目的その2→彼らがこれから直面する戦いでも神さまのことばに従う時に必ず勝利できることを確信するため。
10 「生ける神があなたがたのうちにおられ、あなたがたの前から、カナン人、ヘテ人、ヒビ人、ペリジ人、ギルガシ人、エモリ人、エブス人(与えられる土地にいる7つの先住民たち)を、必ず追い払われることを、次のこと(川が止まり渡れること)で知らなければならない。」
神様のことばに従うようにと今日も神様は僕らに聖書を通して話しかけてくださっています。神様のご計画は棚ぼたではなく、僕らがそれを信じて行動することとセットです。そのときに、「やっぱり神様のことばは本当だ!」とますます僕らは神様を喜び感謝し賛美するようになります。従う時に神様に裏切られることはありません。ますます神様への信頼度は増え、喜びと感謝は増えます。信じて一歩踏み出してみましょう。そこには祝福と喜びが待っています。ハレルヤ!
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