2023年3月1日水曜日

ヨシュア記4章

 ヨシュア記4章

神様には不可能はありません。神様はヨルダン川をせき止めて、神様が与えると約束してくださった土地に渡らせてくださいました。人々は神様を恐れ驚きつつ、川の中にできた乾いた場所を歩いて渡ることができました。
こんなにすごい神様体験をしても、僕ら人間はだんだんそれを忘れてしまいます。その時には感動し神様を恐れ賛美したのですが、だんだん感動も薄れ、神様の力のレベルも小さめに見てしまうのが僕ら人間の愚かさです。
聖書は「主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな」と言います。(旧約聖書詩篇103篇) 忘れやすいので、神様は「忘れるな」と言ってくださっています。
ヨルダン川を神様がせき止めて渡らせてくださったことを忘れないために、川の真ん中の石を記念に運び出しなさい、と神様が言われました。主の力を思い出すため、そして川のこちら側の土地を与えてくださることを忘れないためです。
1 民がすべてヨルダン川を渡り終わったとき、主はヨシュアに告げて仰せられた。
2 「民の中から十二人、部族ごとにひとりずつを選び出し、
3 彼らに命じて言え。『ヨルダン川の真中で、祭司たちの足が堅く立ったその所から十二の石を取り、それを持って来て、あなたがたが今夜泊まる宿営地にそれを据えよ。』」(…中略…)
8 イスラエルの人々は、ヨシュアが命じたとおりにした。主がヨシュアに告げたとおり、イスラエルの子らの部族の数に合うように、ヨルダン川の真中から十二の石を取り、それを宿営地に運び、そこに据えた。
9 ――ヨシュアはヨルダン川の真中で、契約の箱をかつぐ祭司たちの足の立っていた場所の下にあった十二の石を、立てたのである。それが今日までそこにある。
取り出せるはずのない川の真ん中の底から運び出した12個の石を見るたびに、神様がこの川を渡らせてくださったことを思い出します。そして、神様が本当にこちら側の土地を与えてくださることを確認できます。
さらに、この石は奇跡を体験していない子どもたちに神様のリアルさを伝えるためにもなります。
6 それがあなたがたの間で、しるしとなるためである。後になって、あなたがたの子どもたちが、『これらの石はあなたがたにとってどういうものなのですか。』と聞いたなら、
7 あなたがたは彼らに言わなければならない。『ヨルダン川の水は、主の契約の箱の前でせきとめられた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の水がせきとめられた。これらの石は永久にイスラエル人の記念なのだ。』」
どんなに大きな奇跡を体験しても、僕ら人間は弱いものです。イヤなことがあるとすぐに神様を忘れ、感謝を忘れ、ブツブツと文句ばかりが出てきます。神様の恵みを思い出すことは僕らにとって必要です。それはもう一度力を与え喜びと希望を与えてくれます。
彼らはこの先苦しみにも会います。でも、この石はその中でも神様の恵みと力の大きさを思い出す助けになります。主の恵みを思い出すことは勇気と希望の源です。
23 あなたがたの神、主は、あなたがたが渡ってしまうまで、あなたがたの前からヨルダン川の水をからしてくださった。ちょうど、あなたがたの神、主が葦の海になさったのと同じである。それを、私たちが渡り終わってしまうまで、私たちの前からからしてくださったのである。
24 それは、地のすべての民が、主の御手の強いことを知り、あなたがたがいつも、あなたがたの神、主を恐れるためである。」
祭司たちが川から上がった瞬間に水は岸一杯に戻り、もはや入ることのできない大きな川に戻りました。
17 ヨシュアは祭司たちに、「ヨルダン川から上がって来なさい。」と命じた。
18 主の契約の箱をかつぐ祭司たちが、ヨルダン川の真中から上がって来て、祭司たちの足の裏が、かわいた地に上がったとき、ヨルダン川の水はもとの所に返って、以前のように、その岸いっぱいになった。
イスラエル人たちはもはや後戻りができなくなり、川は閉ざされました。彼らは今後、神様にだけ信頼していく新しい道を踏み出します。
僕らにも神様の記念が必要です。
血だらけのイエス様の十字架を思い出すことは、「あなたの罪は赦された」といつも確認させてくださいます。多くの教会が記念として十字架を掲げています。教会の中心は十字架です。
また、イエス様は「わたしを覚えてこれ(パンを裂いて一緒に食べること)を行いなさい」と言われました。イエス様が処刑を受けて僕らが無罪とされていることや、僕らがイエス様につながるからだの一部(器官)とされていることを思い出させてくださいます。
神様が良くしてくださったことを記念するのは大事なことです。
クリスチャンなら祈りが聞かれた体験が必ずあります。神様が助けてくださったこと、人と和解できたこと、罪から解放されたこと、必要なお金や時間が与えられたこと、僕らは何度も神様体験をしています。でも、忘れてしまいます。
忘れないように、思い出せるように記録することは助けになります。記録しなくても、誰かにその体験を話すことは、まるで記念の石をおくかのようです。
人に話すと、自分の中でもしっかりと記憶されるし、聞く人にも恵みになります。
今日も神様の恵みを思い出しましょう。神様のすばらしさを記憶することは試練の時の力、苦しみの時の希望となります。今までも、これからも主は良い方です。ハレルヤ!
(旧約聖書 詩篇 103:2)
わがたましいよ。
主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

0 件のコメント:

コメントを投稿