2023年3月3日金曜日

創世記31.36-55

 創世記31.36-55

僕らの考えはコロコロと変わるし、その考えは正しくありません。そんな僕らのために神様は律法を与えてくださいました。神様が下さる律法は僕らが神様と人を愛するための助けになります。
もしもですが、僕らが正しく神様を愛し、隣人を愛しているなら律法は必要ありません。
たとえば、妻をいつも愛していたら「姦淫してはならない」という教えはいりません。もし、いつも隣人を尊敬し平和を保っていたら「殺してはならない」という教えはいりません。もし、神様が与えてくださる物に感謝し満足していたら「盗んではならない」とか「隣人のものを欲しがってはならない」という教えはいりません。でも、僕らは弱くて正しくない人間です。神様が与えてくださる律法は僕らが神様を愛し、隣人を愛するための助けになります。
(新約聖書 ローマ 13:9-10)
「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」ということばの中に要約されているからです。
愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。
ヤコブとラバンの間にもルールの助けが必要でした。両者とも自分が正しいと思っているし、両者の言い分は平行線です。
ラバンおじさんは欲が深くて何度も報酬を変える人でした。ヤコブはラバンおじさんから逃げるように去りました。が、ラバンは追いかけてきます。今だに「娘たちは私の娘、子どもたちは私の子ども、群れは私の群れ、すべてあなたが見るものは私のもの。」と主張します。(43節) そんなラバンにヤコブは不満を爆発させます。
36 そこでヤコブは怒って、ラバンをとがめた。ヤコブはラバンに口答えして言った。「私にどんなそむきの罪があって、私にどんな罪があって、あなたは私を追いつめるのですか。(…中略…)
38 私はこの二十年間、あなたといっしょにいましたが、あなたの雌羊も雌やぎも流産したことはなく、あなたの群れの雄羊も私は食べたことはありませんでした。
39 野獣に裂かれたものは、あなたのもとへ持って行かないで、私が罪を負いました。あなたは私に責任を負わせました。昼盗まれたものにも、夜盗まれたものにも。
40 私は昼は暑さに、夜は寒さに悩まされて、眠ることもできない有様でした。
41 私はこの二十年間、あなたの家で過ごしました。十四年間はあなたのふたりの娘たちのために、六年間はあなたの群れのために、あなたに仕えてきました。それなのに、あなたは幾度も私の報酬を変えたのです。
ラバンはヤコブとの間に平和的な契約を結ぶことを提案します。
でも、このラバンはコロっと約束を変える人です。この人との約束はあてになりません。それで、ヤコブは見える形で証拠を残すことを提案し実行します。
44 さあ、今、私とあなたと契約を結び、それを私とあなたとの間の証拠としよう。
45 そこで、ヤコブは石を取り、これを立てて石の柱とした。
46 ヤコブは自分の一族に言った。「石を集めなさい。」そこで彼らは石を取り、石塚を作った。こうして彼らは石塚のそばで食事をした。
ヤコブと一族全員で見える形で石の山を作りました。これを見るたびにラバンとの約束を思い出すことができるためです。
ラバンもそれに同意しました。そして、今まで過干渉だったことをやめ、神様にお任せすることを約束します。また、お互いに敵意を持って近づかないことを約束します。この石の山はその約束のしるしです。
49 「われわれが互いに目が届かない所にいるとき、主が私とあなたとの間の見張りをされるように。
50 もしあなたが私の娘たちをひどいめに会わせたり、もし娘たちのほかに妻をめとったりするなら、われわれのところにだれもいなくても、神が私とあなたとの間の証人であることをわきまえていなさい。」
51 ラバンはまたヤコブに言った。「ご覧、この石塚を。そしてご覧、私があなたと私との間に立てたこの石の柱を。
52 この石塚が証拠であり、この石の柱が証拠である。敵意をもって、この石塚を越えてあなたのところに行くことはない。あなたもまた、この石塚やこの石の柱を越えて私のところに来てはならない。
彼らは互いに平和を保つことを約束し、それを見える形にしました。
ラバンのように、僕らもまた考えはコロコロと変わるし、その考えは正しくありません。そんな僕らのために神様は律法を与えてくださいました。神様が下さる律法は僕らが神様と人を愛するための助けになります。
また、神様は契約を見えるように「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」と言われ、今も教会では神様の赦しの約束を見える形にしています。一緒にパンを裂いて食べ、一緒に杯を飲むのは、神様との約束を見える形にして「これを行ないなさい」とイエス様が言われたことです。(新約聖書 1コリント11.24-25)
ラバンやヤコブと同じく、僕らは弱いものです。
正しく神様を愛し、人を愛することができません。
僕らにはしっかりとした教えや約束が必要です。
弱い僕らのために、神様は聖書を通してハッキリと教えてくださり、聖餐(パンを一緒に裂いて食べ、杯を飲むこと)を通して、契約を忘れないように見せてくださいます。
神様の律法は僕らを助けてくれます。そして僕らの中に住んでおられる聖霊はいつも神様のことばを思い起こさせてくださいます。
(新約聖書 ヨハネ 14:26)
しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
神様のことばは僕らへの重荷ではなく、助けです。
忘れやすく弱い僕らのために、今日も神様は聖書のことばを、聖霊を、聖餐を与えてくださっています。今日もみことばによって僕らが神様からズレたり離れたりすることがありませんように。

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