2023年3月1日水曜日

ヨシュア記8.1-17

 ヨシュア記8.1-17

神様が僕らに求めておられることは交わりです。それは神様に祈ること、質問すること、そして主のことばを聞くこと、全部が神様との交わりです。人は神様と交わりながら生きるように作られています。神様との交わりをスキップすることは「自分たちの判断だけで大丈夫」という慢心です。
ヨシュアもイスラエル人たちも神様に相談せずに自分たちの判断で効率を求めアイという町を占領しようとします。その結果は敗北でした。
(ヨシュア記7.3)
彼らはヨシュアのもとに帰って来て言った。「民を全部行かせないでください。二、三千人ぐらいを上らせて、アイを打たせるといいでしょう。彼らはわずかなのですから、民を全部やって、骨折らせるようなことはしないでください。
彼らは敗北します。この時、神様に相談もせず自分たちの中に罪があることにも気付きませんでした。アカンは神様のものを盗んでいたし、神様の怒りがありました。相談も祈りもせず、神様のことばを求めもしない彼らは愚かにも敗北しました。
そんなイスラエルとその指導者ヨシュアに神様はもう一度語りかけてくださいます。
1 主はヨシュアに仰せられた。「恐れてはならない。おののいてはならない。戦う民全部を連れてアイに攻め上れ。見よ。わたしはアイの王と、その民、その町、その地を、あなたの手に与えた。
神様はもう一度語りかけてくださいます。神様が「その町をあなたの手に与えた」とおっしゃるので、ヨシュアとイスラエルはアイに攻撃をします。神様が「与えた」と言われるとその通りになります。だから「恐れてはならない。おののいてはならない。」と言ってくださいます。神様のご計画を聞き、それに従って歩むことこそが勝利です。神様は負けることがありません。なので、恐れる必要はありません。従うことは勝利です。彼らは今度は神様のことばに聞き従います。神様は具体的な戦術までを指定されます。今回は、正面から攻めるふりをして、アイの兵士たちをおびき出させ、その隙にウラにいた伏兵が町を攻撃するという主のプランです。その伏兵が町に出るタイミングも主のものです。
2 あなたは町のうしろに伏兵を置け。」
7 あなたがたは伏している所から立ち上がり、町を占領しなければならない。あなたがたの神、主が、それをあなたがたの手に渡される。
人間が勝手に人を殺したりすることは許可されていません。僕ら人間は神様との交わりの中で、神様のみこころを求めてそれに従うように作られています。神様に聞きもせず勝手に町を滅ぼすことは傲慢であり人間の罪そのものです。
アイは人口12000人の小さな町です。(ヨシュア8.25)それでも神様は「戦う民全部を連れてアイに攻め上れ。」(1節)とおっしゃいました。神様が僕らに求めておられるのは結果ではなく小さいことでも、大きなことでも、神様との交わりの中で、神様の方法で、神様の一緒に進んでいくことです。神様は僕らが思うよりもずっと高く大きく、唯一歴史を支配なさる大いなる方です。
ヨシュアには確信がありました。主のことばがあるからです。主のことばは彼の力です。主のことばによって恐れは去ります。そして主のことばは完璧です。
今日もまずは主のことばに聞きましょう。神様のことばは力そのものです。世界はこの方のことばで動いています。
(新約聖書 ヘブル 4:12)
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。

0 件のコメント:

コメントを投稿