2023年3月1日水曜日

ヨシュア記8.18-35

 ヨシュア記8.18-35

ヨシュアはアイという小さな町を攻略するのに失敗しています。それは、自分たちの罪をそのままにしたことと、神様に祈りもせず、自分たちの計算だけで攻略しようとした高ぶりのせいでした。
失敗を通して人は学びます。
今度は神様のことばに聞き従うことと祈ることが第一です。
指導者ヨシュアは神様が具体的に教えてくださる通りにしました。
18 そのとき、主はヨシュアに仰せられた。「手に持っている投げ槍をアイのほうに差し伸ばせ。わたしがアイをあなたの手に渡すから。」そこで、ヨシュアは手に持っていた投げ槍を、その町のほうに差し伸ばした。
26 ヨシュアは、アイの住民をことごとく聖絶するまで、投げ槍を差し伸べた手を引っ込めなかった。
ヨシュアは戦いの間中、槍を持った手を町に向けて上げ続けました。
これは「祈り続けた」ことだも言われます。
彼は神様のことばに従い、それが実現するまで祈りつづけました。神様のことばは実現します。それを信じるのが祈りです。祈りは叶うか叶わないかわからないクジとかバクチではありません。神様のことばを聞いて、それを信じて答える神様とのキャッチボールです。
聖書は「絶えず祈りなさい」と教えます。それが「神があなたがたに望んでおられることです。」(1テサロニケ5.17-18)
神様のことばやご計画は実現します。神様のことばどおりにアイは滅ぼし尽くされました。
21 ヨシュアと全イスラエルは、伏兵が町を攻め取り、町の煙が立ち上るのを見て、引き返して来て、アイの者どもを打った。
22 ある者は町から出て来て、彼らに立ち向かったが、両方の側から、イスラエルのはさみ打ちに会った。彼らはこの者どもを打ち、生き残った者も、のがれた者も、ひとりもいないまでにした。
ヨシュアたちに手柄があるのではありません。彼らの野望が実現したのでもありません。ただ神様のご計画がヨシュアたちによって実現しました。勝利の後、ヨシュアとイスラエルは浮かれることがありませんでした。次にしたことはやはり神様のことばを確認することでした。彼らは祭壇を作ってそこで、神様から与えられた教え(律法)を石に書き記し、さらに、イスラエル人全員に読み上げました。
30 それからヨシュアは、エバル山に、イスラエルの神、主のために、一つの祭壇を築いた。(…中略…)
32 その所で、ヨシュアは、モーセが書いた律法の写しをイスラエルの人々の前で、石の上に書いた。(…中略…)
34 それから後、ヨシュアは律法の書にしるされているとおりに、祝福とのろいについての律法のことばを、ことごとく読み上げた。
35 モーセが命じたすべてのことばの中で、ヨシュアがイスラエルの全集会、および女と子どもたち、ならびに彼らの間に来る在留異国人の前で読み上げなかったことばは、一つもなかった。
これは、「祝福とのろいについての律法のことば」です。(34節) もちろん従うことが祝福です。カナンの土地に入ったら、祝福とのろいのことばを書き記し、読み上げることは指導者モーセの時代から言われていたことでした。
(旧約聖書申命記27.2-3)
あなたがたが、あなたの神、主が与えようとしておられる地に向かってヨルダンを渡る日には、大きな石を立て、それらに石灰を塗りなさい。
あなたが渡ってから、それらの上に、このみおしえのすべてのことばを書きしるしなさい。
読み上げられた律法は、もちろん祝福を選ぶための律法です。神様のことばによって祝福されて生きることは僕らも同じです。
「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」とあります。(新約聖書マタイ4.4)
僕らは何よりも神のみことばによって道を見分けることができ、祝福を選ぶことができます。失敗は僕らを成長させます。神様に聞かず、失敗し、苦しみに会うならチャンスです。神様のことばに聞き従う祝福を選び直しましょう。ハレルヤ!

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