2023年3月1日水曜日

ヨナ書1章

 ヨナ書1章

僕らは残酷なニュースを見聞きすると、ちゃんと犯人が逮捕されて裁きを受けるようにと願います。
この当時、アッシリヤ人たちの残酷さは有名でした。戦争の相手国の人々を生きたまま手足を切ったりして、誰が見てもヒド過ぎる人たちです。「早く神様の罰を受けて滅びればいいのに」と思われていました。神様は預言者ヨナにそんな残忍な国の首都ニネベに行ってメッセージをしなさい、と命令します。
1 アミタイの子ヨナに次のような主のことばがあった。
2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。
彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」
「ヨナ書」は罪に腐ったような人たちを神様が見放さず、愛し赦し変えてくださることの実例です。
ヨナはあのニネベだけは行きたくありません。彼らが神様に赦されたり、愛されたりすることがイヤです。あんな人たちに神様の憐れみはいらないと思い、ニネベにはいかず、逆方向に逃げました。
3 しかしヨナは、主の御顔を避けてタルシシュヘのがれようとし、立って、ヨッパに下った。
彼は、タルシシュ行きの船を見つけ、船賃を払ってそれに乗り、主の御顔を避けて、みなといっしょにタルシシュへ行こうとした。
タルシシュはニネベとは逆方向で4000キロも離れた町です。ヨナの預言者としての職務放棄です。それでも、神様はヨナを見捨てず関わり続けてくださいます。神様は暴風を起こしてヨナの乗った船を沈むギリギリまで追い込みました。
4 そのとき、主が大風を海に吹きつけたので、海に激しい暴風が起こり、船は難破しそうになった。
5 水夫たちは恐れ、彼らはそれぞれ、自分の神に向かって叫び、船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた。
水夫たちはいろんな国の出身なので、それぞれの宗教の神様に叫び祈りました。でも、暴風は止みません。本当の神様ではないからです。船の積み荷を捨てましたが、それでも沈みそうです。彼らはヨナを質問攻めにします。
8 そこで彼らはヨナに言った。
「だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、告げてくれ。
あなたの仕事は何か。
あなたはどこから来たのか。
あなたの国はどこか。
いったいどこの民か。」
9 ヨナは彼らに言った。
「私はヘブル人です。
私は海と陸を造られた天の神、主を礼拝しています。」
10 それで人々は非常に恐れて、彼に言った。
「何でそんなことをしたのか。」人々は、彼が主の御顔を避けてのがれようとしていることを知っていた。
ヨナが先に、これを彼らに告げていたからである。
人々は神様の怒りによって嵐が起こってるのを知って恐れます。ヨナは自分のせいだと知っていました。そしてこの嵐が静まり船と水夫たちが助かるためには、自分が死ぬしかないと言います。
11 彼らはヨナに言った。
「海が静まるために、私たちはあなたをどうしたらいいのか。」海がますます荒れてきたからである。
12 ヨナは彼らに言った。
「私を捕えて、海に投げ込みなさい。
そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。
わかっています。
この激しい暴風は、私のためにあなたがたを襲ったのです。」
今まで偶像に祈り叫んでいた水夫たちは、本物の神様「主」に向かって祈るようになります。そして、ヨナを海に投げ捨てます。
14 そこで彼らは主に願って言った。
「ああ、主よ。
どうか、この男のいのちのために、私たちを滅ぼさないでください。
罪のない者の血を私たちに報いないでください。
主よ。
あなたはみこころにかなったことをなさるからです。」
15 こうして、彼らはヨナをかかえて海に投げ込んだ。
すると、海は激しい怒りをやめて静かになった。
16 人々は非常に主を恐れ、主にいけにえをささげ、誓願を立てた。
神様の怒りをなだめるには死が必要です。
ヨナは海に沈められ、神様の怒りは止みました。
海が静かになったのを見て、人々はこの神様こそ本物だと知り「非常に主を恐れ」礼拝するようになりました。
同じように、イエス様は神様の怒りのなだめの供えものとして十字架の上で処刑を受けてくださいました。あの血だらけのイエス様の犠牲によって赦されることを知って僕らは神様を恐れ、礼拝せずにはいられなくなります。神様の怒りはなだめられました。
(1ヨハネ 2:2)
この方(イエス様)こそ、私たちの罪のための、――私たちの罪だけでなく全世界のための、――なだめの供え物なのです。
ヨナが海に沈められたのは、イエス様のことを現しています。ヨナは海に沈められ、三日後に陸に出て復活します。これはイエス様が処刑され、三日後に復活することを現わしています。
(新約聖書 マタイ 12:39-40)
預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられません。ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子(イエス様)も三日三晩、地の中にいるからです。
神様はひど過ぎるニネベの人たちを愛して救おうとなさいます。誰もが行きたくないところ、会いたくもないヒドい人たちがニネベの人たちです。それでも神様はニネベの人たちを救おうとなさいます。
また、神に反抗する預言者ヨナでさえも用いようとなさっています。ヨナはひどい目に会いましたが、神様に懲らしめられるのは神様が用いようとされているからです。ヨナは溺れましたが復活し、用いられる預言者に変えられます。
17 主は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。
ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。
皆さんにとって会いたくない人、神の赦しや恵みや愛をを伝えたくない人は誰でしょうか。あいつは滅びればいい、死ねばいい、と思う人は誰でしょうか。
神様は罪人を愛し赦し、作り変えようとなさっています。
使徒パウロはキリストに反抗し、クリスチャンたちを苦しめ殺した人です。そんなパウロでさえ神様に変えられ、イエス様を伝える人として用いられます。彼は次のように言っています。
(1テモテ 1:15)
「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。
神様の愛は僕らの想像をはるかに超えています。神様にとっては「あの人はムリ」ということはありません。このメッセージを僕らは罪人仲間に伝える役目が与えられています。僕らは先に赦された罪人です。どんなにヒドイ人でもゆるされます。イエス様の十字架の死刑による赦しは完璧です。ハレルヤ!

0 件のコメント:

コメントを投稿