箴言16.1-15
ああしたい、こうしたい、こうしなければ、と僕ら思います。…が、それがどうなるか分かりません。僕らの明日は分からないし、消えていく霧のようだといいます。(ヤコブ4.14)そうだ、あの人にこのように言おうなどと思いますが、その時に必要なことばを与えてくださるのは神様です。
(1節)
人は心に計画を持つ。しかし、舌への答えは主から来る。
イエス様は「何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示される」とおっしゃいます。(マタイ10.19)もちろん準備は必要です。でも、もっと大事な準備はちょうど良いものを与えてくださる主への信頼、信仰です。その時必ず良いものを与えてくださいます。
(2節-3節)
2,人には自分の行いがみな純粋に見える。しかし、主は人の霊の値打ちを量られる。
3,あなたのわざを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。
「霊の値打ち」とは神様への信頼と恐れがあるかどうかです。それは神様に喜ばれる価値のあるものです。「そうすれば、あなたの計画は固く立つ」と言われています。(3)反対に、神様を信頼せず、「自分でやらねば」と偉くなってしまうことは、神様に忌み嫌われます。罰もあると聖書は断言します。
(5節)
心の高ぶりはすべて主に忌み嫌われる。断じて罰を免れない。
へりくだる事は安心して任せるすことです。それは怠けではなく、準備や勤勉さとセットです。神様の関心は僕らの計画でも進捗状況でもありません。主を恐れ、神を信頼し感謝しているかどうかです。人はうわべを見るが、主は心を見ます。(1サムエル16.7)
今日もお任せしましょう。何を話すか、何をするか、必ず神様がその時に良いものを与えてくださいます。「主が人の行いを喜ぶとき、敵さえもその人と和らがせる。」(7)良いことしかありません。ハレルヤ!
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