箴言9章
「私はわかってる。指図されたくない」と言うタイプの人と、「知りたいです。教えてください」と言う人がいると思います。知恵を得て成長するのは後者です。
(9-10)
9,知恵のある者に与えよ。彼はますます知恵ある者となる。正しい人を教えよ。彼は洞察を深める。
10,主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟ることである。
人知を超えた知恵と洞察力を得る人とは聞く耳のある人です。イエス様も「聞く耳のある者は聞きなさい。」と何度もおっしゃっています。神様のご臨在を感じてひざまずき、そのことばに聞き、従おうとする人は知恵と悟りを得ます。また、その人はいのちを得ると聖書はいいます。
(11-12)
11,わたしによって、あなたの日は多くなり、あなたのいのちの年が加えられるからだ。
12,あなたが知恵を得るなら、自分のために知恵を得ることになり、嘲るなら、自分だけが責めを負うことになる。
聞いて従う人は、岩の上に家を建てた人のようだとイエス様は言われます。
(マタイ7:2425)
だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
聞いて従う人は神様を恐れる人です。「主を恐れることは知恵の初め」(10)です。それは何よりも神様を重んじ優先することです。それが全ての源です。僕らの人生を決して揺るがない、倒れない、平安と確信に満ちたものとします。確かな家を建てあげるかのようです。(1)
「わかってる。指図されたくない」と言わず「自分は浅はかです。わかってません」と言う人は幸いです。神様はそのような人に天からの知恵と分別を与えようとしてくださいます。
(4-6)
4,「浅はかな者はみな、ここに来なさい」と。また、良識のない者に言った。
5,「さあ、わたしのパンを食べなさい。わたしが混ぜ合わせたぶどう酒を飲みなさい。
6,浅はかさを捨てて、生きなさい。分別のある道を、まっすぐに歩みなさい」と。
自分の判断や主張は一旦手放してみましょう。「わかっている」と思うのは高ぶりです。「嘲るなら、自分だけが責めを負うことになる。」と聖書は言います。(12)主を恐れることがいのちと祝福の源泉です。恐れることは重んじることです。今日、僕らがひざまずきますように。自分を捨てて聞き、従いますように。
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