マタイ24.1-14
赤ちゃんが生まれるとみんな大喜びしますが、産む時の苦しみは激しすぎます。同じように、イエス様がもう一度この世界に来られると世界は喜びと平和と愛で満たされますが、やはりその前に激しい苦しみを通ります。ニセの預言者や偽キリストによる惑わし、戦争、地震、飢饉、殺し合いが世界を覆うことは避けられません。イエス様はそれを「産みの苦しみの始まり」とおっしゃいました。その先には喜びがあるからです。
(3節から8節)
3,イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。」
4,そこでイエスは彼らに答えられた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
5,わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わします。
6,また、戦争や戦争のうわさを聞くことになりますが、気をつけて、うろたえないようにしなさい。そういうことは必ず起こりますが、まだ終わりではありません。
7,民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、あちこちで飢饉と地震が起こります。
8,しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりなのです。
大切なことは苦しみを数えて暗くなるのでなく、約束された希望を見上げることです。イエス様を信じている人たちは苦しめられ、殺されますが、イエス様は「最後まで耐え忍ぶ人は救われます。」とおっしゃいます。(13)
(9節から13節)
9,そのとき、人々はあなたがたを苦しみにあわせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
10,そのとき多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合います。
11,また、偽預言者が大勢現れて、多くの人を惑わします。
12,不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えます。
13,しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。
お手本はイエス様です。人から捨てられ、苦められ、神様からも捨てられ呪われたイエス様です。その姿から目を離さなようにと聖書は言います。イエス様はその先にある復活と喜びのために忍耐されました。忍耐とは希望を持って待ち望むことです。
(ヘブル人への手紙12章の2節から3節)
2,信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。
3,あなたがたは、罪人たちの、ご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。
どんな時もイエス様の御霊が与えられています。御霊は悪に心を留めず、人のせいにせず、裁かず、(1コリント13.5)むしろその悪を背負って十字架で命を捨てて下さった和解の福音を伝えるものです。僕らに任されているのは悪を糾弾することでなく、その罪の呪いを受けて下さったイエス様の福音を伝えることです。(第二コリント5章19節) 福音が全世界に伝わったときに終わりが来ます。それまでは終わりではありません。
(14節)
御国のこの福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての民族に証しされ、それから終わりが来ます。
苦しみの中でどのように希望を持って忍耐することができるのか、それはイエス様が模範を示してくださいました。
(ペテロの手紙第一2章19節から23節)
19,もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。
20,罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることです。
21,このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。(…中略…)
23,ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。
理由もなく苦しめられたり殺されたりすることは僕らにも起こります。
一緒に忍耐してくださるのはイエス様です。敵を愛し、敵のために祈らせてくださるのはイエス様の御霊です。
今日も忍耐しましょう。今日も愛しましょう。忍耐は主に喜ばれています。イエス様の御霊が共におられます。ハレルヤ!
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