マタイ26.26-35
聖書は血液こそが命だと言います。血液が循環して体を生かし、「いのちである血」「血がいのちそのもの」と表現します。(申命記12章23節、創世記9章4節、レビ記17章11節、レビ記17章14節など) 血は身体中の傷ついた細胞を再生し育て守る神秘的な働きをするそうです。イエス様を信じることは、イエス様のいのちが体中に循環することです。イエス様は死ぬことのない永遠のいのちを受けるとは、イエス様の血を飲むことだと表現します。
(ヨハネの福音書6章53節から54節)
53イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。
54わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
僕らは実際に血液を飲む事はしませんが、イエス様はいのちを受けるようにして杯を飲みなさいと言われます。イエス様の血は、罪が赦されたことを約束し、よみがえって永遠に生きることを約束する血です。
(27節から28節)
27,また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
28,これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。
イエス様を信じた時から、このイエスのいのちが僕たちの中に流れています。「あなたの罪は赦された」という約束はいつも僕らの体に流れています。もちろん弱くて失敗し、罪を犯してしまいがちなものです。それでもイエス様の血は僕らを修復し生かし育て守ります。失敗しても変わらず「あなたの罪は赦された」と宣言する血が流れています。「御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」(1ヨハネ1.7)ペテロはこの後イエスを裏切ります。それでもペテロは赦され、立ち上がります。
(31節から35節)
31,そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜わたしにつまずきます。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散らされる』と書いてあるからです。
32,しかしわたしは、よみがえった後、あなたがたより先にガリラヤへ行きます。」
33,すると、ペテロがイエスに答えた。「たとえ皆があなたにつまずいても、私は決してつまずきません。」
34,イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今夜、鶏が鳴く前に三度わたしを知らないと言います。」
35,ペテロは言った。「たとえ、あなたと一緒に死ななければならないとしても、あなたを知らないなどとは決して申しません。」弟子たちはみな同じように言った。
この後、ペテロがひどい自己嫌悪に陥ることをイエス様は知っておられました。それで、その前に「これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。」と宣言されます。僕らも同じように失敗することがありますが、それでも約束の血が僕らの中に流れています。今日も赦されいます。生かされています。どんなに傷ついてもこの血は僕らを再生します。大丈夫です。ハレルヤ!
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