2024年4月2日火曜日

出エジプト2章

 出エジプト2章


苦しいのは嫌です。でも悲しみはあります。悲しむ人は幸いだとさえイエス様は言われます。(マタイ5.3-11)嘆きつつ神様に叫び求める事は必要なことです。痛みは避けたいですが、その苦しみゆえに心を注ぎ出して祈り、祈りを経て神様を大きく体験するのも事実です。

ユダヤ人はエジプトに奴隷となり苦しめられました。何年も苦しみ神様に泣き叫びました。そしてその祈りは神様に聞かれます。



(1章13-14節)

それでエジプト人は、イスラエルの子らに過酷な労働を課し、漆喰やれんが作りの激しい労働や、畑のあらゆる労働など、彼らに課す過酷なすべての労働で、彼らの生活を苦しいものにした。



(23節-25節)

それから何年もたって、エジプトの王は死んだ。イスラエルの子らは重い労働にうめき、泣き叫んだ。重い労働による彼らの叫びは神に届いた。神は彼らの嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエルの子らをご覧になった。神は彼らをみこころに留められた。



神様は1度もイスラエル人たちを見捨てた事はありません。ですが同時に彼らが苦しみを通る事が大事なステップとして預言されていました。「神は彼らの嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。」とあります。(24)忘れていたのではありません。神様がイスラエルを祝福する約束はどんな試練によっても取り消されることはありません。神様の契約は創世記に何度も繰り返されています。



(創世記15章13~14節)

主はアブラムに言われた。「あなたは、このことをよく知っておきなさい。あなたの子孫は、自分たちのものでない地で寄留者となり、四百年の間、奴隷となって苦しめられる。

しかし、彼らが奴隷として仕えるその国を、わたしはさばく。その後、彼らは多くの財産とともに、そこから出て来る。



苦しみの後で祝福される事はゆるぎない約束です。これはイエス様を信じる僕らにも与えられています。祝福の前には苦しみにも会うことも聖書が何度も伝えていることです。



(使徒の働き 14章22節)

「私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない」



(ヨハネの福音書 16章33節)

世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。



(ローマ人への手紙 8章17節)

私たちはキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているのですから、神の相続人であり、キリストとともに共同相続人なのです。



(テサロニケ人への手紙 第一 3章3節)

このような苦難の中にあっても、だれも動揺することがないようにするためでした。あなたがた自身が知っているとおり、私たちはこのような苦難にあうように定められているのです。



イスラエルの赤ちゃんが次々と殺されるような試練の中で、神様は祝福への準備をされていました。イスラエル人ゆえに川に捨てられた赤ちゃんモーセはファラオの王女に拾われ、特別な英才教育を受け「モーセは、エジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、ことばにも行いにも力がありました。」とあります。(使徒の働き7章22節)また、モーセは挫折しどん底も経験します。怒ってエジプト人を殺し、砂に死体を隠しましたがそれが王様にも伝わり、彼は恐れて逃亡します。その惨めな経験全てが、神様のご計画の御手の中にありました。(1-22節)


僕らにもナゼこんなことが?神様どうしてですか?と思うことがあります。それでも全ては神様の御手の中にあります。全てが栄光と勝利に変わる日のための通過点です。今日の悲しみ苦しみを神様に祈りましょう。神様の祝福の約束は忘れられていません。神様は聞いてくださっています。人の思いを遥かに超えた神様のご計画が今日も実現しています。


(詩篇145篇18~19節)

主を呼び求める者すべてまことをもって主を呼び求める者すべてに主は近くあられます。

また主を恐れる者の願いをかなえ彼らの叫びを聞いて救われます。




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