2024年4月25日木曜日

詩篇49篇

 詩篇49篇


人間なら、全員、幸せになりたくて、何かで満たされたくて、愛されようとし、強くなろうとします。上手くいく人もいるし、それができなくて苦しむ人もいます。仕事も、財産も、みんな自分を祝福したいし強くなりたいという願いが根底にあります

でも、全てが消え去るものです。どんな喜びも、どんな楽しみも、お金も、名誉も自分を死と神の裁きから救い出す事はできません



(17節から20節)

17,人は死ぬとき何一つ持って行くことはできずその栄誉もその人を追って下ることはない。

18,たとえ人が自分自身を生きている間に祝福できてもあなたには物事がうまく行っていると人々があなたをほめたたえても。

19,そのたましいは代々の先祖のところに行く。そこでは永久に光を見ることはない。

20,人は栄華のうちにあっても悟ることがなければ滅び失せる獣に等しい。



自分の財産や名誉を墓に刻み、土地に自分の名前を付けたとしても消え去ります。どんな権力者であっても死んでいくただの人間です。だから人を恐れる必要はありません。



(6節から13節)

5,なぜ私はわざわいの日々に恐れなければならないのか。私のかかとを狙う者の悪意が私を取り囲むときに。

6,彼らは自分の財産に拠り頼み豊かな富を誇っている。

7,兄弟さえも人は贖い出すことができない。自分の身代金を神に払うことはできない。

8,たましいの贖いの代価は高く永久にあきらめなくてはならない。

9,人はいつまでも生きられるだろうか。墓を見ないでいられるだろうか。

10,彼は見る。知恵のある者たちが死に愚かな者浅はかな者も等しく滅び自分の財産を他人に残すのを。

11,彼らの心の中ではその家は永遠で住まいは代々に及ぶ。彼らは土地に自分たちの名をつける。

12,しかし人は栄華のうちにとどまれない。人は滅び失せる獣に等しい。

13,これが愚か者の道。彼らに従う者もその口のことばを喜ぶ。セラ



どんなにお金を積んでも自分を死から救うことはできません。まして、神様の裁きから救うことはできません。イエス様を信じ受け入れ従うことだけが僕らを永遠の祝福へと招いてくださる唯一の道です。贅沢に暮らし、おいしいものを食べて遊び暮らしていた人が死後に火の中で苦しみ、逆に忍耐して貧乏人ラザロが死後に報われていることをイエス様は教えてくださいました。その金持ちは叫んでいます。



(ルカ16:24)

彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。



今日1日の使い方が、消えていくことのために使うのか、それとも永遠になくならない価値のあることに使うのか僕らは問われています。自分の栄光もお金も持っていくことはできません。反対に、イエス様を信頼し神様と人を愛し仕えるために手放した自分の立場やお金や権利や時間は天では消えることのない価値のある宝です。イエス様は言われます。「なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。」今日、話すこと、聞くこと、見るもの、すること全てが永遠に価値のあることへの選択でありますように。



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