私の弟は30代の時に交通事故で亡くなりました。父は生前「自分の人生で1番苦しく悲しかったことは自分より先に豊が死んだことだ」と言っていました。今日、文子さんもどんなに悲しく辛いことかと思います。文子さんは八戸の病院から教会に電話くださって、息子のために祈ってほしい、なんとか回復するようにとのことで、電話で一緒に祈ったのを思い出します。神様にはできる、医師が回復は見込めないと言っても、神様には癒す力があると信じて一緒に祈りました。
今日お読みした聖書は一人息子を失ったお母さんの話です。
このお母さんも、若い息子を失って、悲しみのどん底だったと思います。12節によるとその母親はやもめだった、と書かれています。
(12)
イエスが町の門に近づかれると、見よ、ある母親の一人息子が、死んで担ぎ出されるところであった。その母親はやもめで、その町の人々が大勢、彼女に付き添っていた。
やもめとは、夫に先立たれた女性です。この当時、やもめは貧しい人の代名詞です。誰にも頼ることができないまま、一人で息子を育て、そして、その息子にも先立たれてしまいました。その悲しみはどんなに大きかったかと思います。
聖書は約2000年前の出来事の記録です。イエス様がその悲しみの中でどのように関わってくださったかが書かれています。そして、そのイエス様は2000年前だけでなく、今も悲しみの中にいる私たちに関わり、言葉をかけてくださっています。
聖書は今も生きておられる神であるイエス様からの愛のメッセージです。
●イエス様は一緒に悲しんでくださる神様
まず、イエス様は一緒に悲しんでくださる方です。
13節を読むと、イエス様はその母親を見て「深くあわれみ」とあります。
(13)主はその母親を見て深くあわれみ、「泣かなくてもよい」と言われた。
これははらわたがちぎれる思い、という意味です。町の人々はたった一人の家族を失ったお母さんに対してかける言葉がありませんでした。そんな彼女にイエス様は深く憐れみ、一緒に悲しんでくださいます。イエス様はそのような方です。
聖書に「泣く人と共に泣きなさい」とあります。誰よりも一緒に泣いてくださるのはイエス様です。
僕ら人間は他人の苦しみや悲しみが本当にはわからないし、本音は自分だけは安全なところにいたい、ラクなところにいたい、と思うのものです。でも、イエス様は真逆です。この母親の悲しみをまるで自分のことのようにし、はらわたがちぎれるほどに一緒に悲しみ泣いてくださる方です。
●イエス様は「泣かなくてもよい」「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」と言われる唯一の神様
私たち全員、いつかは、地上の人生を終えなければなりません。死なない人はいません。
いくら長生きをしても、それでも必ず死は訪れます。死に抵抗できる人は人間の中にはいません。死を悲しんでいる人に泣くなとか、我慢しなさいとか言えません。ところが、イエス様だけは「泣かなくてもよい」言われます。
(14)そして近寄って棺に触れられると、担いでいた人たちは立ち止まった。
今風に言えば、遺体をのせた霊柩車が出発するときです。ボンネットに手を当てて霊柩車を止めているかのようです。非常識にも見えます。この当時、棺に手を触れるとか、死体に触るのは非常に汚れることだと言われていたそうです。担いでいた人たちも人々も驚いたと思います。葬儀を妨害するような行為にも見えます。弟子たちも、先生、それはあまりにも非常識です、やめてくださいと思ったかもしれません。でもイエス様だけは関係なく棺に触れ、葬儀の列は止まりました。誰もが諦めているのに、死を受け入れているのに、イエス様だけが「泣かなくてもよい」とおっしゃいます。絶望の中に入ってきて声をかけてくださる唯一の神様です。
(14)イエスは言われた。「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」
人間がどんなに呼びかけても、目を覚ますことのない人にイエス様だけは呼びかけます。誰もがもうあきらめている状況の中でもイエス様にだけは不可能はありません。
どんなお医者さんでもご臨終ですと言ったら終わりです。でもイエス様だけはもう息をしない人に向かって「若者よ、あなたに言う。起きなさい。」と命令することができます。
人間の手の届かないところに対して語りかけることができるのは唯一、イエス様だけです。
イエス様の言った通りに、その青年は起き、イエス様はその青年を母親に返しました
(15)すると、その死人が起き上がって、ものを言い始めた。イエスは彼を母親に返された。
皆さんがもう諦めていること、もう無理だと思ってることがあったとしても、イエス様だけは諦めていなません。イエス様だけは「起きなさい」と言ってくださいます。そしてその言葉は実現します。イエス様の言葉は絶望を光に、死を命に変える言葉です。死人は起き上がり、ものを言い始めました。どんな状況でも、死の向こうでも、イエス様の声の届かないところはありません
イエス様は私たちの死を悲しむ方です。家族を失うことを悲しむ方です。
でも、それで終わりません。
神が人となって、私たちの苦しみに連帯し、人から傷つけられることを経験し、家族を失う経験をされました。その上で私たちに希望を与えようとしておられる方です。
雲の上から助けてやるよ、と言う神様ではなく、私たちのところに来て、いや私たちよりも下に来て、人々から捨てられ、人から捨てられ十字架でののしられ、そして私たちを愛してくださる方です
この青年を復活させて、その後、ご自分が十字架の上で処刑されました
私たちが受けるべき神の呪いを受けるためです
イエス様だけが私たちに「泣かなくて良い」と言ってくださる唯一の神様です。死んでしまった人に「起きなさい」と言える唯一の神様です。
この方だけが私たちの希望です
このイエス様に希望を持ちましょう。私たちがどうしようもないことに対して、それでも権威を持ち、永遠の命を与える権威があるのは、ただこの方、イエス様だけです。
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