2024年8月18日日曜日

2サムエル17章23節

 2サムエル17章23節


期待が大きいと、違った時の落胆も大きいようです。また、「こうあるべき」「こうあらねば」が強い人ほど不安が大きく、怒りやすかったり傷つきやすかったりします。

アブサロムの助言者だったアヒトフェルは、「自分の意見が通らなかった」ことで絶望し自殺しました。「意見が通るかどうか」は命に関わるほどに大事なことだったようです。



(サムエル記 第二 17章23節)

アヒトフェルは、自分の助言が実行されないのを見ると、ろばに鞍を置いて自分の町の家に帰り、家を整理して首をくくって死んだ。彼は彼の父の墓に葬られた。



彼は確かに優れた意見の持ち主でした。「当時、アヒトフェルの進言する助言は、人が神のことばを伺って得ることばのようであった。」(16.23)とあります。しかし、神様はそのはるか上のご計画をお持ちです。「彼の助言をあえて採用しない」ことが今回の神様のご計画でした。それは彼が劣っていたからではなく、神様がクーデターを起こしたアブサロムにわざわいをもたらすためでした。



(14節)

アブサロムとイスラエルの人々はみな言った。「アルキ人フシャイの助言は、アヒトフェルの助言よりも良い。」これは、主がアブサロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれた助言を打ち破ろうと定めておられたからである。



意見が採用されないことも神様のご計画です。自分の思い通りにならないことも神様のみこころです。人は意見や計画を持ちますが、さらに上を行く神様のご計画だけがなります。(箴言16.1)


今日、がっかりしたり、落胆していることは何でしょう。不安だったり怒ったりしていることは何でしょう。そのことについて、神様よりも自分の計画を押し通そうとしていないか、自分に聞いてみましょう。落胆には高ぶりが隠れています。イエス様の祈りはお手本です。



(マタイ26.39)

わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。



自分の思い通りに通らななくても、それで神様に愛されなかったり、価値がなくなったりしたわけではありません。こうすべき、こうあらねば、と思わなくて大丈夫です。


もともと、僕らは土のチリにすぎないものです。(詩篇103.14)能力や立場も一時的に預かっているだけです。栄光は神様のもの、ご計画や支配は神様のもの、力は神様のものです。教会はずっと祈ってきました。「国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。」(マタイ6.13)


今日も僕らの思い通りでなくて大丈夫です。神様の御心がなりますように。ハレルヤ!


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