2025年6月24日火曜日

1列王13.1-10

1列王13.1-10


神様からの懲らしめを受けて苦しむ人が回復する方法はただ一つです。それは神様のことばを受け入れ、従うと決めることです。これ以外では本当の回復の方法がありません。なぜなら、神様からの裁きの理由は「神様のことばに逆らうこと」だからです。それなのに、僕らは神様のことば以外の方法で回復しよう、癒されようとがんばります。相手との関係を良くしようとプレゼントを使ったり、食事に誘ったり、共通の趣味や娯楽に誘ってみたり…です。それらは神様の前での癒しや回復にはなりません。

偶像礼拝をするヤロブアムに、神の人は裁きを宣言しました。裁きのしるしとして、偶像礼拝の祭壇は裂け、ヤロブアムの手は萎びて動かなくなります。



"その日、彼は一つのしるしを与えて、次のように言った。「これが主の告げられたしるしである。見よ、祭壇は裂け、その上の灰はこぼれ出る。」

ヤロブアム王は、ベテルの祭壇に向かって叫んでいる神の人のことばを聞いたとき、祭壇から手を伸ばして「彼を捕らえよ」と言った。すると、彼に向けて伸ばしていた手はしなび、戻すことができなくなった。

神の人が主のことばによって与えたしるしのとおり、祭壇は裂け、灰は祭壇からこぼれ出た。"

列王記 第一 13章3~5節



ヤロブアムは慌てて助けを求めます。



"そこで、王はこの神の人に向かって言った。「どうか、あなたの神、主にお願いして、私のために祈ってください。そうすれば、私の手は元に戻るでしょう。」神の人が主に願ったので、王の手は元に戻り、前と同じようになった。"

列王記 第一 13章6節



手が元に戻ったヤロブアムは神様の前で悔い改めるべきでした。ところが、彼は裁きを宣言する神の人を食事でもてなしたい、プレゼントしたい、味方につけたい、嫌われたくない、裁かれたくない、それだけです。彼は食事とプレゼントをしようとします。



"王は神の人に言った。「私と一緒に宮殿に来て、食事をして元気をつけてください。あなたに贈り物をしたいのです。」"

列王記 第一 13章7節



彼は神様のことばを聞いても悔い改めることはなく、心が神様に向くことはありませんでした。ただ飲食接待や贈答品で今後の裁きを回避しようと思っただけです。あらかじめ神様は彼からの接待を拒否するように警告していました。



"すると神の人は王に言った。「たとえ、あなたの宮殿の半分を私に下さっても、私はあなたと一緒に参りません。また、この場所ではパンも食べず、水も飲みません。

というのは、主のことばによって、『パンを食べてはならない。水も飲んではならない。また、もと来た道を通って帰ってはならない』と命じられているからです。」

こうして、彼はベテルに来たときの道は通らず、ほかの道を通って帰った。"

列王記 第一 13章8~10節



懲らしめを受けて苦しむ人が回復する方法はただ一つ、神様のことばを受け入れ、悔い改めて従うことです。それ以外での回復はありません。神様のことばをスキップしたままで関係を回復しようとしても虚しいものです。まずは悔い改め、方向を変えて従う決心からです。

2025年6月23日月曜日

1列王12.25-33

 1列王12.25-33


誰でも恐れるし心配します。特に、人が自分から離れていくことを恐れる人は多いようです。そして安心できる方法を自分で作りたいものです。ヤロブアム王も国民が自分から離れてしまうことを恐れました。

神様は明確に「エルサレムで礼拝せよ」と命じていますが、「国民がエルサレムに礼拝に行ったら、心も移ってしまうかもしれない…」「自分が不要になるかもしれない…」と怖くなったようです。それで彼は人々がエルサレムに行ない方法を考えます。



(26-27節)

ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に帰るだろう。

この民が、エルサレムにある主の宮でいけにえを献げるために上ることになっているなら、この民の心は彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、彼らは私を殺して、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」



彼が考え出した方法は、金の子牛の礼拝所を作り「ここに、あなたをエジプトから連れ上った、あなたの神々がおられる。」と宣言することです。彼は国民に「もうエルサレムに上る必要はない。」と言いました。



(28-30節)

28,そこで王は相談して金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もうエルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上った、あなたの神々がおられる。」

29,それから彼は一つをベテルに据え、もう一つをダンに置いた。

30,このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンまで行った。



金の子牛を礼拝することは、ヤロブアムの安心のため、自己保身のため、そして人を支配するためです。彼は自分の恐れや支配欲のために宗教を国民に強要しました。神様は怒ります。「このことは、ヤロブアムの家の罪となり、ついには大地の面から根絶やしにされることとなった。」(13章34節)


僕らがお仕えするのはイエス様です。教会はイエス様のためのものです。礼拝は神様のためのものです。牧師も教会も「この教会は、この礼拝は自分のため? それとも、キリストのため?」と問い続けることが必要です。

自分の恐れや願望や成功のために、金の子牛でなくても、豪華な建物、SNS映えするイベント、音楽、組織、規約がいつの間にか偶像となることはあるようです。


バプテスマのヨハネは人々がみんなヨハネから離れイエス様に移っていった時に「あの方(イエス様)は盛んになり、私は衰えなければなりません。」(ヨハネ3.30)と言いました。それでOKです。僕らが求めるべきは神様の栄光です。教会も礼拝も自分のためではありません。自分に問い続けましょう。「これは自分のため? それとも、キリストのため?」と。


2025年6月22日日曜日

1列王11.1-13 あんなに立派な人だったのに… 礼拝メッセージ

 1列王11.1-13 あんなに立派な人だったのに…


今日のメッセージは、イエス様を信じた人がバプテスマを受けただけでなく、最後まで神様に愛され、神様を愛し、神様に聞いて、従ってゴールすることがいかに難しいことであるか、その実例としてのソロモンの失敗です。


数えてませんけど、東栄教会でたくさんの洗礼をしました。教会の名簿見たら50年で200人以上はいると思います。でも体感としては最後まで信仰を持ち続ける人は3分の1以下だと思います。


イエス様もおっしゃいました。あるタネは鳥に食べられてします。これは悪魔に持っていかれることです。あるタネは芽を出しても岩地だから育たず枯れます。あるタネはこの世の誘惑や心配事で枯れてしまいます。

イエス様よりこの世が大事になってきて、だんだんイエス様のことがわからなくなり、最初は「やばいな」と思うかもしれないけど罪にも慣れてきて、おかしくなってることにも気がつかない、ってことがあります。


世界で1番祝福され、知恵いただいたソロモンでさえも老人になってから神様から離れ、偶像に従うようになりました。あのソロモンでさえです。だったら僕らはなおさら危険です。毎日御言葉を聞いて神様のもとに戻らないと無理です。いかに誘惑が激しいか、いかに離そうとする悪魔の力が強いか、この世の力が大きいかということです。


今日の結論は、「だから祈りましょう。祈ってもらいましょう。だから毎日神様を求めましょう。だから聖書を自分で聞き続けましょう。」です。


みことばは命の食事です。祝福のための食事、神様とつながる栄養です。命そのものです。

1週間に一度の食事だけで大丈夫なわけがないです。

皆さん、最後にいつご飯食べましたか?昨日の夜ですか?今朝ですか?

みことばはいのちの食事、パンです。最後にいつ食べましたか?

一週間前くらい、いや、2週間前かな、って人が健康でいられるはずがないです。だから毎日決まって聖書の言葉を読み、聞き、祈る生活が、どんなに僕らにとって大事か、という話です。


信仰告白することは感謝です。そして、それ以上に最後まで神様と共に歩むことはもっと大事です。

あの、世界一の信仰者、世界一祝福され、知恵があったソロモンでさえ神様から離れるなら、僕らはなおさらです。


●ソロモンの堕落はなぜ?


"ソロモンは、シドン人の女神アシュタロテと、アンモン人の、あの忌むべき神ミルコムに従った。

こうしてソロモンは、主の目に悪であることを行い、父ダビデのようには主に従い通さなかった。

当時ソロモンは、モアブの忌むべきケモシュのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。アンモン人の、忌むべきモレクのためにも、そうした。

彼は異国人であるすべての妻のためにも同じようにしたので、彼女たちは自分の神々に香をたき、いけにえを献げた。"

列王記 第一 11章5~8節


忌むべき偶像、忌むべきモレクとあります。何度も「忌むべき」と聖書は繰り返します。

ソロモンは赤ちゃんを生贄にして殺すような、そして礼拝と言いながら性行為をするような淫らな礼拝の場所を作っています。忌まわしいと聖書はいいます。


神様は2回も現れて直接ソロモンに注意しました。注意するのは神様の愛です。にもかかわらず彼は主の命じたことを守りません。自分から離れていきます。


(2-3節)

この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中に入ってはならない。彼らをあなたがたの中に入れてもいけない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる」と言われた、その国々の者であった。しかし、ソロモンは彼女たちを愛して離れなかった。

彼には、七百人の王妃としての妻と、三百人の側女がいた。その妻たちが彼の心を転じた。


(9-10節)

主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から離れたからである。主が二度も彼に現れ、

このことについて、ほかの神々に従っていってはならないと命じておられたのに、彼が主の命令を守らなかったのである。


●何もなかったはずのソロモン


ソロモンは18-19歳くらいで王様になったと言われています。何もわからない子どものようだ、と自覚していました。だから神様に求めるしかありません。彼は祈りました。


"わが神、主よ。今あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし私は小さな子どもで、出入りする術を知りません。(…中略…)善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、この大勢のあなたの民をさばくことができるでしょうか。」"

列王記 第一 3章7~9節


この人たちを裁くことなんて統治することなんてできません。だからその神様の言葉を聞き分ける心を与えてください、と求め祈りしました。自分の力ではなくて神様の知恵を求めました。

このように、ソロモンは知恵も力もない自覚があり、ただ神様のことばを聞き、求め、従う、という1つの事に専念していくことを決めたはずでした。お父さんのダビデが死ぬ直前に、遺言のように、次のように命令しています


"あなたの神、主への務めを守り、モーセの律法の書に書かれているとおりに、主の掟と命令と定めとさとしを守って主の道に歩みなさい。あなたが何をしても、どこへ向かっても、栄えるためだ。"

列王記 第一 2章2~3節


神様の教えに聞いて従うことがどんなに祝福になるか、そのことをソロモンはずっと覚えていました。彼は神殿を作り、神様に捧げました。その時の祈りもそのことを繰り返しています。


"そこで今、イスラエルの神、主よ。あなたのしもべ、私の父ダビデに約束されたことを、ダビデのために守ってください。『あなたがわたしの前に歩んだように、あなたの子孫がその道を守り、わたしの前に歩みさえするなら、あなたには、イスラエルの王座に就く者がわたしの前から断たれることはない』と言われたことを。"

列王記 第一 8章25~26節


2回も繰り返しています。主の教えを守るなら祝福される、ダビデにそう約束してくれた神様がそうしてくれます。ソロモンもそう願って祈っていたはずです。


ところがそんなソロモンでさえ他のことが大事になってきました。最初にソロモンが外国人の女性を妻に迎えた事は、政治的には非常に賢い選択だったかもしれないです

まず、強大な国エジプトとの強い関係を築こうとしてファラオの娘と結婚しました。


"ソロモンはエジプトの王ファラオと姻戚の関係を結んだ。彼はファラオの娘をめとり、ダビデの町に連れて来て、(…中略…)ソロモンは主を愛し、父ダビデの掟に歩んでいた。"

列王記 第一 3章1~3節


エジプトのファラオの義理の息子となることで、この南側の強大なエジプトと同盟を結ぶことができました。この結婚は、国の平和のため、国の繁栄のためには良いことをしているように見えます。

若い時は、エジプトの娘と結婚しても、ソロモンは神様一筋だということができたんです。その頃は「ソロモンは主を愛し、父ダビデの掟に歩んでいた。」とあります。でも年取って気力体力が落ちてきたときにできなくなってきました。


"ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心をほかの神々の方へ向けたので、彼の心は父ダビデの心と違って、彼の神、主と一つにはなっていなかった。"

列王記 第一 11章4節


●神様の警告の通り


1節の女性たちのリストはみんな「彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる」と明言されている国です。


"この女たちは、主がかつてイスラエル人に、「あなたがたは彼らの中に入ってはならない。彼らをあなたがたの中に入れてもいけない。さもないと、彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせる」と言われた、その国々の者であった。しかし、ソロモンは彼女たちを愛して離れなかった。"

列王記 第一 11章2節


神様がはっきりとここまで明言してたにもかかわらず、ソロモンは「ソロモンは彼女たちを愛して離れなかった。」とあります人は神にもこの世にも仕えることができません。


(ルカ 16:13

しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。」


彼は神様によって平安や愛をいただくよりも、女性たちとの感情的な喜びに溺れるようになりました。

彼は知恵ではわかっていました。彼女たちと交わることは自分が神様から引き離されることだという命令も知っていました。これほど明確なのに、女性たちとの交わり、肉体的な喜び、感情的な喜びを追い求めることを神様より優先するようになりました。


●男性は霊的なリーダーの役目


もう一つソロモンが拒否したのは、家庭のリーダーとしての役目です。結婚する事は単に妻と一体になる契約を結ぶだけではなく、これからこの2人のリーダーとして、家庭の指導者として神様から任命されることです。彼は家庭における霊的なリーダーシップを拒否しました。


"キリストが教会のかしらであり、ご自分がそのからだの救い主であるように、夫は妻のかしらなのです。"

エペソ人への手紙 5章23節


明らかに男性は、妻を愛し守りリードする役目があります。もちろん、1000人の女性を娶ること自体がすでに無理なのですが、彼は霊的に家庭を守り、妻たちを霊的な不幸から守るリーダー性を全く放棄しました。その結果その女性たちを堕落させ不幸にさせただけではなく、国を不幸にしていきます。

男性は女性を守ります。それは霊的なレベルで女性を守る役目です。それは今も同じです。


神様が言った通りにソロモンは堕落し、ソロモンだけでなく、子供たちの世代まで、孫の世代まで不幸にしていきます。

子どもたちを祝福したいなら、みことばに聞き、神様に従うべきです。孫を祝福したいなら、そうするべきです。この後、彼の子どもの代から家庭も国も壊れていきます。


●わたしたちへの警告


ソロモンは世界で1番知恵のある賢い人でしたが、それでも堕落することを私たちに教えています

軍事力、富、そして女性の誘惑を楽しむと神様を求めなくなりがちです。これは遥か昔、モーセの時代から言われていることです。


"ただし王は、決して自分のために馬を増やしてはならない。馬を増やすために民をエジプトに戻らせてはならない。主は「二度とこの道を戻ってはならない」とあなたがたに言われた。

また王は、自分のために多くの妻を持って、心がそれることがあってはならない。自分のために銀や金を過剰に持ってはならない。"

申命記 17章16~17節


軍事力、女性たち、そしてお金は神様から僕らを遠ざけます。軍事力やお金が自分を守る力だと思い、女性たちが自分を癒すと思いがちです。お金と力とセックスは私たちを楽しませ、安心させると思わせ、神様から離してそれらに依存させます。

力と富を手にしていくならば、王は自分のことを無敵だと思うんです。神様に頼らなくても私は強い、と思います。逆に、心の貧しい人は幸いです。自分に何もない、力も富もない、と思う人は神様に求めます。天の御国はその人のものです。


私たちが何に依存し、何で幸せを得、そして何に動かされているか問われます。ソロモンは女性たちに依存し、女性たちによって幸せを得、そして女性たちに動かされて偶像礼拝に堕ちていきました。


良いことに見える小さな決断が、神様よりそちらを優先することになり、それはどんどん膨らんでいって、やがて人生全体を苦しめて祝福をから堕落へとなることがあります

小さな罪はブレーキの効かない雪だるまのように大きくなります。


王様として同盟国の女性と結婚することが正当なことに見えたかもしれません。でも心の中に、やっぱり彼は乾いた心を情欲で満たしたい、このストレス解消を女性で満たしたい、寂しさをこの孤独を埋めてほしい、そういう気持ちはあったと思います。女性から受ける幸福感、気持ちが体が通じ合う喜びが強力で、彼はそれにハマってしまいました。


ソロモンの失敗は、最後まで神様と共に生き祝福されたい僕らに警告を送っています。どんなに賢い人であっても弱いんです。たくさんのものが手に入ったときに一番大事なことを軽んじてしまうんです。


世界で1番の知恵者でさえこうなりました。洗礼の時に、従います、と言って終わりではないです。毎日、1分1分、1秒1秒、ずっと神様に聞き、頼り、従い続けることが大事です。

知恵があるとか、知識があるっていうのは幻想です。何かできたような気持ちになります。知っていることと神様に従うことを選び実行する事は全然違います。

王様への警告は僕らにも言われています。


(申命記17.19-20)

自分の手もとに置き、一生の間これを読まなければならない。それは、王が自分の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばと、これらの掟を守り行うことを学ぶためである。

それは、王の心が自分の同胞の上に高ぶることのないようにするため、また命令から右にも左にも外れることがなく、彼とその子孫がイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるようにするためである。


時間は限られています。だから大事なことから先にすることが大事です。

このコップは私たち。この小石は毎日しなきゃならないことです。

いろんな用事があります。仕事もあるし、ラインも返したいし、欲しいものもあるし、SNSもチェックしたいし

でも、そうするうちにコップはいっぱいになってしまいます。



隣にあるボールは神様との関係です。神様のみことばをきき、祈り、感謝し賛美する、一番大事なことです。気がついたらそのボールは入らなくなってしまいます。




大事なことは大事なボールから先に入れることです。

そうしたら小石もちゃんと入ります。そして、入らない小石は入れる必要のないものです。


最初にみことばを聞き従うこと、いつもそれを口ずさむことで、全てのことが整えられ栄え祝福されます。これは聖書が何度も繰り返していることです。モーセも若いヨシュアに同じことを言っています。


"このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることすべてを守り行うためである。そのとき、あなたは自分がすることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである。"

ヨシュア記 1章8節


神様の御言葉をいつも口ずさむ人は必ず祝福されます。


"主のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。

その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える。"

詩篇 1篇2~3節


イエス様も同じことを言っています。

心配して動き回るのではなく、必要なことは一つだけです。それはイエス様の言葉を聞くことです。


"しかし、必要なことは一つだけです。マリアはその良いほうを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません。」"

ルカの福音書 10章42節


みことばを第一に求め聞き従うことで祝福されることは神様の取り消すことのない約束です。

自分からは出ない知恵と力が神様のことばにはあります。みことばはいのちの源です。これなしに、他のもので満たされようとすることはうまくいきません。


失敗することのない祝福は神様の言葉を読み、聞き、従うことです。心をつくして、いのちを尽くして、誠実に神様のことばを求めましょう。弱くても強くされます。何もなくても全てを持っています。神様のことばがあるからです。大丈夫です。ハレルヤ!


ーー質問ですーー

あなたにとって優先すべきではない小石はなんですか?

それによって神様からの祝福を失った経験はありますか?