2列王19.15-37
馬鹿にされたり、名誉が傷つけられると「許せん」と思って怒ります。たとえ欠点あってもです。欠点がなく完璧な栄光をお持ちの方は神様だけです。絶対に馬鹿にされることがあってはならない唯一のお方です。それで祈るときには「御名が聖なるものとされますように。」(マタイ6.9)とか、「私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光を、ただあなたの御名にのみ帰してください。」と祈るように言われています。(詩篇115.1)神様に聞かれる祈りはなんといっても神様の栄光を求めることです。
ヒゼキヤ王が恐ろしいアッシリヤに完全包囲されたときに祈った願いは神様だけがあがめられることです。
"私たちの神、主よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、主よ、あなただけが神であることを知るでしょう。」"
列王記 第二 19章19節
神様の栄光だけがすべての人たちに明らかになるように願ったことは聞き届けられました。
"アモツの子イザヤはヒゼキヤのところに人を送って言った。「イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたがアッシリアの王センナケリブについて、わたしに祈ったことを、わたしは聞いた。』"
列王記 第二 19章20節
もちろん神様にとってエルサレムは愛する娘であるゆえに救ってくださる面もあります。でも同時に神様の栄光がキズつけられることがあってはならず、神様をバカにするなら正しく怒り報復されます。
"主が彼について語られたことばは、このとおりである。『処女である娘シオンはおまえを蔑み、おまえを嘲る。娘エルサレムはおまえのうしろで頭を振る。
おまえはだれをそしり、だれをののしったのか。だれに向かって声をあげ、高慢な目を上げたのか。イスラエルの聖なる者に対してだ。"
列王記 第二 19章21~22節
「その夜、主の使いが出て行き、アッシリアの陣営で十八万五千人を打ち殺した。」とあります。(35)彼らが滅ぼされた理由は、神様の栄光のためです。
"それゆえ、アッシリアの王について、主はこう言われる。『彼はこの都に侵入しない。また、ここに矢を放たず、これに盾をもって迫らず、塁を築いてこれを攻めることもない。
彼は、もと来た道を引き返し、この都には入らない──主のことば──。
わたしはこの都を守って、これを救う。わたしのために、わたしのしもべダビデのために。』」"
列王記 第二 19章32~34節
僕らが祈るべきは神様の栄光を求めることです。日常の出来事全ては、神様の栄光が表され、ほめたたえられるためのものです。主の栄光を求める祈りは必ず聞かれます。今日も「御名が聖なるものとされますように。」と祈りましょう。すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。(ローマ11.36)
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