2025年8月25日月曜日

2列王19.1-13

 2列王19.1-13


食べるにも、飲むにも、何をするにも神様の栄光のためです。(1コリント10.31)今抱えている問題もまた、神様のに祈り求め、神様の栄光を体験するためのものです。ヒゼキヤは圧倒的なアッシリア軍に囲まれる恐怖の中で神様の前に平伏し、敵の脅しの手紙を神様に広げ、一つ一つ報告し祈りました。そして彼が求めるのは神様の主権と栄光です。彼の祈りはお手本です



"ヒゼキヤは、使者の手からその手紙を受け取って読み、主の宮に上って行き、それを主の前に広げた。

ヒゼキヤは主の前で祈った。「ケルビムの上に座しておられるイスラエルの神、主よ。ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。"

列王記 第二 19章14~15節



神様は脅してくる相手を支配する神様でもあります。悪魔でさえ神様の許可なしには動けません。(ヨブ1章、ルカ22.31)僕らの問題もまた神様が支配しておられます。これは神様の主権と栄光を求めるためのプロセスです。



"私たちの神、主よ。どうか今、私たちを彼の手から救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、主よ、あなただけが神であることを知るでしょう。」"

列王記 第二 19章19節



苦しみから救われる理由は神様の栄光と力のためです。イエス様もそう祈りなさいとおっしゃいました。

 


"ですから、あなたがたはこう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。"

マタイの福音書 6章9節


あのこの人のおかげでなく、あの方法でもなく、ただ主の御名だけが聖なるものとされ、ほめたたられるためには、人間的な方法が上手くいかなくなることも時には必要です。その時には「なぜこんなことが…」とも思います。でも、それは神様の栄光が純化されるためのものです。僕らが自分の権力や能力や計画や経験や計算を手放して平伏し、祈るためです。主の栄光と主権を本気で求める人になるためです。行き止まりを経験するほどに神様の力と栄光だけを体験する機会が増えます。


今日も、うまくいかないこと、苦しいことを神様のもとに告白し、自分を手放し、主の栄光と力だけを求めましょう。栄光は主のものです。力は主のものです。「ただ、あなただけが、地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。」ハレルヤ!

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