2列王25.22-26
敵に服従させられるのはイヤだけど、でも、それが必要な時もあります。「主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられる」(ヘブル12章6節)とあるように、神様から与えられた懲らしめは黙って受け入れ忍耐する期間も必要です。
ユダとエルサレムは神の怒りと懲らしめを受けて、バビロンに攻撃されて全てを奪われました。バビロンに降伏するのは屈辱だけど、神様は預言者エリヤを通してこの裁きを受け入れるように言われます。
"しかし、バビロンの王のくびきに首を差し出して彼に仕える国を、わたしはその土地にとどまらせる──主のことば──。こうして、人々はその土地を耕し、そこに住む。』」
ユダの王ゼデキヤにも、私はこのことばのとおりに言った。「あなたがたはバビロンの王のくびきに首を差し出し、彼とその民に仕えて生きよ。"
エレミヤ書 27章11~12節
バビロンから任命された総督ゲダルヤは預言者エレミヤから教えられる人でした。彼は神様からのみことば通りに人々に伝えます。エレミヤはバビロンから釈放された後、この総督ゲダルヤのところに行って住んでいます。(エレミヤ26.24、エレミヤ40章など参照)ゲダルヤはエレミヤに与えられた神様のみことばの通りに人々に教えます。
"ゲダルヤは彼らとその部下たちに誓って、彼らに言った。「カルデア人の家来たちを恐れてはならない。この地に住んで、バビロンの王に仕えなさい。そうすれば、あなたがたは幸せになる。」"
列王記 第二 25章24節
ところが、神様の懲らしめのメッセージがわからない人たちにとっては、ゲダルヤは単なる「裏切り者」です。バビロンに抵抗派のイシュマエルと部下たちはゲダルヤを暗殺します。その時はユダとエルサレムを愛するヒーロー気分だったかもしれないけど、結局彼らは恐れて、エジプトに逃げていきます。
"ところが第七の月に、王族の一人、エリシャマの子ネタンヤの子イシュマエルは、十人の部下とともに来て、ゲダルヤを打ち殺し、ミツパで彼と一緒にいたユダの人たちとカルデア人たちを打ち殺した。
そこで民はみな、身分の下の者から上の者まで、軍の高官たちとともに、立ってエジプトへ行った。カルデア人を恐れたからである。"
列王記 第二 25章25~26節
敵に降参したり服従するのはイヤだけど、必要な時もあります。十分に恥辱を受けるべき時もあると聖書は言います。
"人が、若いときに、くびきを負うのは良い。
それを負わされたなら、ひとり静まって座っていよ。
口を土のちりにつけよ。もしかすると希望があるかもしれない。
自分を打つ者には頬を向け、十分に恥辱を受けよ。"
哀歌 3章27~30節
神様が歴史を支配し、全てを益にしてくださいます。ユダとエルサレムは滅ぼされ、捕囚にされ、その後回復するのに70年かかりました。
僕らも思い通りにならないこと、受け入れたくないことはあります。時間はかかります。それでも、神様は益とするために許可しておられます。僕らの思いよりも、神様のご計画はもっともっと高く、深いものです。(イザヤ55.8-9)しかも、その神様のご計画は、人が心に思い浮かんだこともない大きなものです。(1コリント2.9-10)
今日も僕らの判断を一度手放して聞きましょう。神様の前にひざまづいて従いましょう。僕らの計算より、予想よりはるかに大きな神様です。ハレルヤ!
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