詩篇79篇
親のせいで、上の世代のせいで悪影響を受けていることは何でしょう。
僕らは教会の仲間や家族の失敗や罪を見下し裁きます。悪影響がこっちまで及ぶと「あいつのせいで」と恨みます。親が暴力的だったり、不正をしていたり、何かに依存したりすることが子どもの世代まで影響することはよくあるし、それを「毒親」とか「親ガチャ失敗」と言うけど、そもそも、僕ら全員が罪人の子孫として罪を持って生まれ育ったと聖書は言います。「一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯した」(ローマ5.12)とです。そして罪への神様の怒りと裁きはあります。
同時に、赦しときよめもまた与えられます。「私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」(1ヨハネ1.9)個人的な罪はもちろん、親が犯した罪も、同じキリストの体につながるものとして、自分のことのように謝ることを聖書は教えています。イエス様がお手本です。裁いたり滅ぼしたりするイエス様が僕ら罪人と連帯し、へり下り、誰よりも下になって裁かれる罪人の代表となり、十字架で神の怒りと呪いを受けてくださいました。自分のことのように神の怒りと罰を受けてくださったと同じように、僕らも自分の罪だけでなく、親の世代や、先祖たちが犯した罪も、共同体の1部として一緒に神様に告白し、悔い改め祈るように聖書は教えています。
この詩篇の時代、ユダとエルサレムがバビロンに攻撃され、滅ぼされました。それは神様からの怒りであり裁きです。何世代にも続いてきた偶像礼拝への裁きであり神様の妬みです。イスラエルもユダも家族として、国全体としてちゃんとそれを認めて悔い改めて謝る必要がありました。
"主よいつまでですか。とこしえにあなたはお怒りになるのですか。いつまであなたのねたみは火のように燃えるのですか。
どうかあなたの激しい憤りを注いでください。あなたを知らない国々に。御名を呼び求めない王国の上に。
彼らはヤコブを食い尽くしその住む所を荒らしたのです。
先祖たちの咎を私たちのものとして思い出さないでください。あなたのあわれみが速やかに私たちを迎えるようにしてください。私たちはひどくおとしめられているのです。"
詩篇 79篇5~8節
僕らは苦しみが消えることをまず考えますが、罪について考えて赦しを祈るべきです。自分の罪も先祖たちの罪も赦してもらう方が、本当の解放と喜びにつながるからです。対症療法でなく根治療法です。自分は悪くない、上の世代が悪い、と思いがちだけど、直接関わってなくても同じ民の1人として、同じ家族として、同じ国の一人として「私たちを救い出し私たちの罪をお赦しください。」(9)とお祈りしましょう。
"私たちの救いの神よ私たちを助けてください。御名の栄光のために。私たちを救い出し私たちの罪をお赦しください。御名のゆえに。"
詩篇 79篇9節
「あの人のせいで」と思いがちです。教会や教団のことも「あの教会が悪い」「あの教団がダメ」と裁きがちです。世代を超えて「あの世代の人たちが悪かった」とも思います。でも明らかに教会を超えて、世代を超えてキリストにつながる共同の体です。(ローマ12.5)あの教会もあの世代も、その罪は僕らのものです。自分のこととして、一緒に祈るように聖書は勧めています。
「なんでおじいちゃんの時代の戦争責任を私たちが謝らなきゃなんないの?」と思います。「そもそも生まれてないし」と。それでも同じ国として、先祖たちが犯した罪を謝る聖書の祈りはお手本です。親の罪を、その上の世代の罪も僕らが認めて告白しましょう。そして僕らの世代からは、呪いではなく神様の祝福を受け継ぎ、次の世代に祝福を継承するように祈りましょう。
"先祖たちの咎を私たちのものとして思い出さないでください。あなたのあわれみが速やかに私たちを迎えるようにしてください。(…中略…)私たちを救い出し私たちの罪をお赦しください。御名のゆえに。”
詩篇 79篇8-9節
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