エレミヤ4章
思い通りにいかないことやモヤっとしたことがあると、人のせいにしたり、神様のせいにしたりします。「神様どうしてこんなことするんですか?なんでですか!」
いろんな理由はあるけど、エレミヤ書4章に書かれている苦しみは、神様の怒りであり裁きです。人のせいでも神様のせいでもありません。
"あなたの生き方と、あなたの行いが、あなたの身にこれを招いたのだ。これはあなたへのわざわいで、なんと苦いことか。もう、あなたの心臓にまで達している。」"
エレミヤ書 4章18節
エレミヤ書は、偶像礼拝と淫らな行為を平然と行なっていたエルサレムとユダの人々に対する警告です。神様は何度も何度も戻ってくるように呼びかけます。本物の喜びと祝福が待っているからです。
"「イスラエルよ、もし帰るのなら、──主のことば──わたしのもとに帰れ。もし、あなたが忌まわしいものをわたしの前から取り除き、迷い出ないなら、
また、あなたが真実と公正と義によって『主は生きておられる』と誓うなら、国々は主によって互いに祝福し合い、互いに主を誇りとする。」"
エレミヤ書 4章1~2節
偶像によるのでなく、自分の力によるのでもなく、ただ天地を作り、良いものを与えてくださる神様だけを誇ることが、彼らにとっても僕らにとっても喜びであり祝福です。
これは夫婦が相手に喜ばれ愛し合うために、相手の嫌いなもの、相手にとって不愉快なものを捨てていくのと同じです。
例えば、夫が持ってるピチピチの女性アイドルのグッズやビデオが相手にとって不快なら捨てるべきです。もちろん妻が持ってるイケメン男子アイドルグッズも同じです。アイドル(偶像)よりも、リアルな結婚相手と喜び合う方がずっといいからです。
同じように、神様以外を愛し、神様以外で興奮し自分を喜ばせようとすることは神様に対する裏切りであり、神様の妬み、悲しみ、怒りをもたらす忌まわしいものです。「なんでこんな苦しみがあるの?なんで人生うまくいかないの?」その答えの一つは、「あなたの生き方と、あなたの行いが、あなたの身にこれを招いたのだ。」です。(18)もう一度祝福と喜びを回復するために「あなたが忌まわしいものをわたしの前から取り除き」と神様はおっしゃいます。(1)
ユダヤ人の男子は生まれた8日後に生殖器の皮を切り取ります。「この子は神様の子ども、祝福の子ども、喜びの子」という印です。包皮の1部を切り取ることは、肉の部分、つまり肉欲、高ぶり、そういった類の罪を取り除く意味もあります。そして、神様は偶像礼拝や淫らな行為にハマってしまったユダの人たちに、もう一度、「主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。」とおっしゃいます。(4)心の中にある肉的な罪を取り除きなさいという意味です。この苦しみと裁きは心の中の悪の結果だからです。
"ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。そうでないと、あなたがたの悪い行いのゆえに、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。」"
エレミヤ書 4章4節
祝福を回復することは、心の中の悪を認めて告白して捨て去ることです。イエス様もそれを次のように言っています。過激な表現です。
"もし右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに投げ込まれないほうがよいのです。
もし右の手があなたをつまずかせるなら、切って捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに落ちないほうがよいのです。"
マタイの福音書 5章29~30節
これは実際に腕を切りなさい、目をえぐり出せ、という意味ではなくて、どんな大事なものに見えても、罪なら徹底して捨てなさい、という意味です。心の中の小さな悪い思いも、ちゃんと告白して徹底的に捨て去ることです。これが心を洗いきよめることです。
"「エルサレムよ。救われるために、悪から心を洗いきよめよ。いつまで、自分のうちによこしまな思いを宿らせているのか。"
エレミヤ書 4章14節
僕らの心も体も神様のものです。神様が嫌いなものを捨てると、ますます神様と1つになっていけます。神様に喜ばれ、僕らも神様を愛します。
妬みと怒りをもたらすようなものを心に隠し持って何も良いことありません。
今日も心を調べ、そこに偶像があることを認めて告白しましょう。
それを捨てるなら僕たちはもっと神様と近く、神様に喜ばれます。祝福が回復します。ハレルヤ!
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