2025年10月29日水曜日

エレミヤ28章

 エレミヤ28章



僕らは真実よりも心地良い話を聞きたいものです。だから教会でも「人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。」と言われてます。(テモテへの手紙 第二 4章3~4節)そしてまた、牧師や指導者も真実よりも、みんなが気に入る話をしたい誘惑があります。もし、人に喜ばれるためだけに教えているなら、もうその人はキリストのしもべではありません。



"今、私は人々に取り入ろうとしているのでしょうか。神に取り入ろうとしているのでしょうか。あるいは、人々を喜ばせようと努めているのでしょうか。もし今なお人々を喜ばせようとしているのなら、私はキリストのしもべではありません。"

ガラテヤ人への手紙 1章10節



本物の指導者は人々の賞賛や拍手ではなく真実を求めて語ります。でも、ニセ指導者も登場することは聖書が何度も警告していることです。



"また、あなたがた自身の中からも、いろいろと曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こってくるでしょう。"

(使徒の働き 20章30節)



色んな面がありますが、以下の点である程度わかるかと思います。

●自分への賞賛を求めているのか、神様の栄光を求めているのか

●自分は一般よりも上の「霊的レベル」があるように振る舞うか

●自分の主張や力を伝えたいのか、神様の御言葉をそのまま忠実に伝えたいと思っているのか 

●自分を愛しているのか、神様と人を愛しているのか

●人々の罪を悲しみ祈っているか


「聞こえた」「示された」ということが自動的に神様からのみ言葉とは限りません。「霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。」(1ヨハネ4.1)「預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。」(1コリント14.29)「はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。」(使徒17.11)とある通りです。


エレミヤは偽物の預言者ハナンヤと直面しました。彼は、ユダとエルサレムがバビロンに滅ぼされていく神様のご計画を否定し、人々が喜ぶような話をします。バビロンの支配は2年以内に終わり、奪われた神様の宮の道具も、人々もすぐに帰ってくる、と伝えます。人々は喜んだと思います。しかも、そのフェイク情報を「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。」と神様の名で語ります。(2)



"その同じ年、ユダの王ゼデキヤの治世の初め、第四年の第五の月に、ギブオン出身の預言者、アズルの子ハナンヤが、主の宮で、祭司たちと民全体の前で、私に語って言った。

「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、バビロンの王のくびきを砕く。

二年のうちに、わたしは、バビロンの王ネブカドネツァルがこの場所から奪い取ってバビロンに運んだ主の宮のすべての器をこの場所に戻す。

バビロンに行ったユダの王、エホヤキムの子エコンヤと、ユダのすべての捕囚の民も、わたしはこの場所に帰らせる──主のことば──。わたしがバビロンの王のくびきを砕くからだ。」"

エレミヤ書 28章1~4節



偽預言者ハナンヤはエレミヤに対して徹底抗戦の姿勢です。神様が作るようにおっしゃったエレミヤの首にある木のかせを人々の前で砕きます。これが砕かれたように、2年以内にバビロンの支配は終わる、とです。



"しかし預言者ハナンヤは、預言者エレミヤの首から例のかせを取り、それを砕いた。

そしてハナンヤは、民全体の前でこう言った。「主はこう言われる。このとおり、わたしは二年のうちに、バビロンの王ネブカドネツァルのくびきを、すべての国々の首から砕く。」そこで、預言者エレミヤは立ち去った。"

エレミヤ書 28章10~11節



彼の言葉はウソです。彼は預言者ではなく、人々にウソの平安と神様への反抗を与えようとした人でした。ハナンヤには神様の裁きが降り、彼は「今年、あなたは死ぬ。」と言われた通りに死んでしまいました。本物の神様のみことばは実現することば、神様のことばは歴史そのもの、現実そのものです。



"「行って、ハナンヤに次のように言え。『主はこう言われる。あなたは木のかせを砕いたが、その代わりに、鉄のかせを作ることになる。

まことに、イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは鉄のくびきをこれらすべての国の首にはめて、バビロンの王ネブカドネツァルに仕えさせる。彼らは彼に仕える。野の生き物まで、わたしは彼に与えた。』」

そこで預言者エレミヤは、預言者ハナンヤに言った。「ハナンヤ、聞きなさい。主はあなたを遣わされていない。あなたはこの民を偽りに拠り頼ませた。

それゆえ、主はこう言われる。見よ、わたしはあなたを地の面から追い出す。今年、あなたは死ぬ。主への反逆をそそのかしたからだ。」

預言者ハナンヤは、その年の第七の月に死んだ。"

エレミヤ書 28章13~17節



もう一つ、ニセ預言者を見分ける大切な要素として、人々の罪を悲しみ、祈っている人かどうか、があります。本物の預言者は、周りの罪は自分ごとです。もし彼らが預言者であるなら、その人は人々の罪を認めて神様に祈り、願います。「もし彼らに主のことばがあるなら、彼らは、主の宮、ユダの王の宮殿、またエルサレムに残されている器がバビロンに持って行かれないよう、万軍の主にとりなしをするはずだ。」(17章18節)


人を愛し、神様を愛することは祈ることです。神様の裁きが取り消され、赦され、憐れんでいただけるように、祈ることです。イエス様こそ本物の預言者です。罪のないイエス様が、まるで自分のことのように人々の罪のために祈り、求め、とりなしてくださいました。


ニセ預言者ハナンヤには祈りも愛もなかったようです。ただ自分の栄光、自分が賞賛されることだけを求めていたようです。このように、本物かどうかはその行動、生活、実によってわかります。



"こういうわけで、あなたがたは彼らを実によって見分けることになるのです。

わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。"

マタイの福音書 7章20~21節



自分ではなく神様を求めましょう。人からの賞賛でなく、神様の真実を求めて祈りましょう。僕らが神様だけを指し示し、誠実に人々にみことばを伝える人になれますように。愛して祈る人になれますように。教会の指導者が自分の意見とか主張は捨てて、神様の栄光とそのみことばだけを伝えることができますように。御霊の祈りに合わせて、人々の罪を悲しみ、一緒に祈るものとされますように。

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