エレミヤ29.1-14
気に入らない場所、気に入らない人たち、思った通りじゃなかった生活、好きになれない環境(教会?)があります。イスラエル人にとって、故郷が破壊されバビロンに強制移住させられることは屈辱だし気に入らない極みです。ところが神様はおっしゃいます。「その町の平安を求め、その町のために主に祈れ。」と。
"「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。『エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。家を建てて住み、果樹園を造って、その実を食べよ。
妻を迎えて、息子、娘を生み、あなたがたの息子には妻を迎え、娘を嫁がせて、息子、娘を産ませ、そこで増えよ。減ってはならない。
わたしがあなたがたを引いて行かせた、その町の平安を求め、その町のために主に祈れ。その町の平安によって、あなたがたは平安を得ることになるのだから。』"
エレミヤ書 29章4~7節
その場所に置かれたのは神様です。「わたしが(そこに)引いて行かせた」(4)とおっしゃいます。連れて行かれた場所で不満と文句を言い続けるのではなく、逆にその人たちの平安を祈りなさいとおっしゃいます。これは僕らに言われています。環境のせいにし、周りを批判するのが得意な僕らです。…ですが、イエス様の願いは逆です。気に入らない敵を、迫害する相手を愛し、赦し、善を行い、祝福することが神様の願いです。
"あなたがたの敵を愛しなさい。あなたがたを憎む者たちに善を行いなさい。
あなたがたを呪う者たちを祝福しなさい。あなたがたを侮辱する者たちのために祈りなさい。"
ルカの福音書 6章27~28節
大事なことは環境がどうか、周りの人たちがどうかではありません。気に入るか、不愉快か、でもありません。その場所で神様を求め、心を尽くして神様に呼びかけ願うことです。イスラエル人たちはバビロンでの生活を通して偶像に頼るのをやめ、神様だけを求める人に変えられました。そのためのバビロン生活でした。そこは祝福に向かうために必要な通過点でです。神様のご計画は人の思いと違います。悪い環境の中で神様に祈り求めるとき、周りが変わるより先にまず自分が変えられます。その大事なプロセスを通過して最後には神様の祝福が完成されます。
"わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。
あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。
わたしはあなたがたに見出される──主のことば──。わたしは、あなたがたを元どおりにする。あなたがたを追い散らした先のあらゆる国々とあらゆる場所から、あなたがたを集める──主のことば──。わたしはあなたがたを、引いて行った先から元の場所へ帰らせる。』"
エレミヤ書 29章11~14節
今日も気に入らない場所、気に入らない人たち、思った通りじゃなかったことがあると思います。でも、そこは周りの人たちのため、起きた出来事のため、神様の平安を祈るために与えられたものです。神様を心から求めるために、神様に連れて行かれた多くはあなたにとって気に入らない場所でしょう。「神様、なぜですか?」「いつまでですか?」と言いなくなることもあると思います。でも神様は言われます。「それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(11)将来と希望が約束されています。そのために必要なのはちゃんとその場所で祈りつつ過ごすことです。大丈夫です。トンネルの向こうには必ず祝福と栄光が輝いています。ハレルヤ!
0 件のコメント:
コメントを投稿