エレミヤ33章
神様がエルサレムを大切に思っておられるのは、僕らとすごく関係があります。イエス様は礼拝する場所は「この山でもなく、エルサレムでもないところで、あなたがたが父を礼拝する時が来ます。」と言われました。(ヨハネ4.21)だから、エルサレムにこだわる必要はありません。聖地巡礼もしなくてもOKです。世界中どこでも「二人か三人がわたしの名において集まっているところに」イエス様はいます。(マタイ18,20)…ですが、それでも神様はエルサレムを愛し、きよめて、喜び、回復させようと願っておられます。それは僕らクリスチャンがきよめられてキリストの花嫁となっていくこととすごく関係があります。神様が願っているのは愛しかない世界、喜びしかない世界、平和しかない世界です。そして聖書はそれを天のエルサレム、と呼んでいます。
"しかし、あなたがたが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都である天上のエルサレム、無数の御使いたちの喜びの集い、"
ヘブル人への手紙 12章22節
それはまるでイエス様が、美しく傷もない人々を花嫁として喜び、愛する世界です。花嫁もまたイエス様に感謝し、賛美し、自分の心も体も全部ささげます。エルサレムは愛される、聖なる、飾られた美しい花嫁のよう、と黙示録はいいます。
"私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。"
ヨハネの黙示録 21章2節
エレミヤの時代のエルサレムも同じように、神様の喜びのためのものでした。だのに人々は姦淫を犯し、神様を怒らせ、悲しませ、バビロンによって滅ぼされました。神様がそうしたのは滅ぼすためではありません。彼らをもう一度きよめ、完全にし、回復させ、美しくするためでした。エルサレムは、エレミヤの時代から、将来の新しい天のエルサレムの時代まで、神様と人々が愛し合い交わる場所です。神様は完全にきよめて喜びと感謝しかない世界にしようとしておられます。
"見よ。わたしはこの都に回復と癒やしを与え、彼らを癒やす。そして彼らに平安と真実を豊かに示す。
わたしはユダとイスラエルを回復させ、以前のように彼らを建て直す。
わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしに背いたすべての咎を赦す。
この都は、地のすべての国々の間で、わたしにとって喜びの名となり、栄誉となり、栄えとなる。彼らは、わたしがこの民に与えるすべての祝福のことを聞き、わたしがこの都に与えるすべての祝福と平安のゆえに恐れ、震えることになる。』」"
エレミヤ書 33章6~9節
新しく回復したエルサレムには感謝と賛美と喜びしかありません。神様が願っておられるのは、エルサレムの石とか壁とか、そういう建物ではなくて、神様と人の愛の関係です。愛と喜びと感謝と平和しかない世界です。
"わたしはユダとイスラエルを回復させ、以前のように彼らを建て直す。
わたしは、彼らがわたしに犯したすべての咎から彼らをきよめ、彼らがわたしに犯し、わたしに背いたすべての咎を赦す。"
エレミヤ書 33章7~8節
"楽しみの声と喜びの声、花婿の声と花嫁の声、主の宮に感謝のいけにえを携えて来る人たちの声が、再び聞かれるようになる。彼らは言う。『万軍の主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで』と。わたしがこの地を回復させ、以前のようにするからだ──主は言われる。」"
エレミヤ書 33章11節
イエス様を信じる僕らもキリストの花嫁として、エルサレムのメンバーとして「しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会」になっていく途中です。(エペソ5.27)しかも、僕らが頑張って美しくなるのではなく、イエス様が犠牲となって血を流し、僕らをきよめ、「義」と呼んでくださいます。これが聖なる花嫁エルサレムです。
"「見よ、その時代が来る──主のことば──。そのとき、わたしはイスラエルの家とユダの家に語ったいつくしみの約束を果たす。
その日、その時、わたしはダビデのために義の若枝を芽生えさせる。彼はこの地に公正と義を行う。
その日、ユダは救われ、エルサレムは安らかに住み、こうしてこの都は『主は私たちの義』と名づけられる。」"
エレミヤ書 33章14~16節
イエス様こそダビデの子孫に約束された王様です。僕らはその王様と結婚した花嫁です。僕らは永遠にイエス様に自分をささげ、賛美をささげます。
"まことに主はこう言われる。「ダビデには、イスラエルの家の王座に就く者が断たれることはない。
また、レビ人の祭司たちには、わたしの前で全焼のささげ物を献げ、穀物のささげ物を焼いて煙にし、いけにえを献げる者が、いつまでも絶えることはない。」"
エレミヤ書 33章17~18節
イエスキリストが最後のいけにえとなってくださいました。僕らがささげるのは、動物ではなく自分自身です。そして、ささげる果実はイエス様を告白する賛美の口です。そして、持ち物を分かち合う愛の交わりです。
"ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。"
ローマ人への手紙 12章1節
"それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。
善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです。"
ヘブル人への手紙 13章15~16節
今日も喜びと感謝しかない世界に導かれています。天のエルサレムの一員として賛美を捧げましょう。感謝を捧げましょう。互いに愛し合いましょう。
僕らは神の都のメンバーです。
"私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。
私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」"
ヨハネの黙示録 21章2~4節
愛しかない世界、喜びしかない世界、平和しかない世界に招かれた人は幸いです。僕らはまだまだだけど、ふさわしく、美しく、きよく成長途中です。やがて永遠に賛美し喜ぶものです。それが今日もすでに始まっています。ハレルヤ!
0 件のコメント:
コメントを投稿