1ペテロ1.13-25
いつも僕らの目の前には2つの道があるようです。自分の欲望や計画やに従うか、聖なる神様に従うかです。放っておくとラクな方、自分のメンツや計画、欲や妬みに流れるのは当然です。「肉が望むことは御霊に逆らい、御霊が望むことは肉に逆らう」(ガラテヤ5.17)だからこそ聖書は「心を引き締め」「欲望に従わず」「聖なる者となりなさい」といいます。(13-15)
"従順な子どもとなり、以前、無知であったときの欲望に従わず、
むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。
「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」と書いてあるからです。"
ペテロの手紙 第一 1章14~16節
「聖なる者」とは、神様専用になった人のことです。24時間365日いつも神様と合体した人です。会社員みたいに「今は勤務外だから」とかの区切りはありません。「今はオフで肉欲の時間だから」はありません。ずっと神様の子どもであり、神様の種によって新しく生まれた人です。…でも、そのように生きるためには神様からの「ことば」が必要です。肉に流れていく僕らのために「心を引き締め、身を慎み」なさい、(13)「従順な子どもとなり」なさい、「欲望に従わず、聖なる者となりなさい」と言われます。(14-15)神様からの「ことば」がないとズレていきます。
自動的に兄弟姉妹を愛せるものではありません。「真理に従うことによって」(22)はじめてそれができるようになります。僕らから出たものではなく、神様からみことばを通して与えられた聖なる愛です。
"あなたがたは真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、きよい心で互いに熱く愛し合いなさい。"
ペテロの手紙 第一 1章22節
神様のことば以外の知恵も力も消えていきます。どんなにスゴいことをしても、美しくても、賢くても、消えます。残るのは、ただ聖なる神様のことばと栄光、それだけです。
"「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
しかし、主のことばは永遠に立つ」とあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。"
ペテロの手紙 第一 1章24~25節
僕らの目の前には今日も2つの道があるようです。自分の欲望と栄光を求める道と、神様のことばと栄光を求める道です。放っておくと自分に流れます。だからこそ、みことばが必要です。真理に従うことによって僕らは聖められていきます。(22)神様のことばは毎日必要です。真理のことばが僕らには必要です。放置しても大丈夫な赤ちゃんはいません。みことばはミルクです。(1ペテロ2.2)毎日聞きましょう。求めましょう。僕らには神様の「ことば」が必要です。
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