1ペテロ2.1-10
教会でも話し合いがあります。目標は「神様の御心を求めて」の話し合いなんだけど、僕らは弱くてどうしても悪意やねたみや悪口などが混ざり込んでしまいます。汚い心のままで意見が通って「これが主の御心でした」なんて恥ずかしく虚しいものです。聖書は悪意もウソも偽善もねたみも悪口も入り込むことを認めて、捨てるように、と教えます。
"ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。"
ペテロの手紙 第一 2章1~2節
自分に聞いてみるとわかります。「あなたは自分のプライド求めていますか?それとも神様の栄光を求めてますか?」「あなたは神様の真理と主権を求めてますか?それとも自分の意見と計画ですか?」「あなたは相手を下げようとしてますか?それとも相手を愛して神様に喜ばれようとしてますか?」つまり、「関心は神様にありますか?人ですか?」です。神様の前では全てが明らかだし、心の中のつぶやきも全部聞かれています。「その発言、神様の前でも言えますか?」と問われると恥ずかしくなります。「心に満ちていることを口が話すのです。」(マタイ12.34)
だからまず認めるべきことは「醜い、恥ずかしい悪意があること」です。そして、それをちゃんと神様に告白して、ちゃんと恥ずかしい悪意があることを神様に報告して手放す祈りをすることです。
次に求めるのは、神様の純粋な神様のことばです。神様のことばは混ざりものがありません。「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」(2)僕らの意見は神様のことばを濁らせすぎです。
僕らは神様のものとされ、祭司として任命されました。祭司は口で「神に喜ばれる霊のいけにえを」ささげます。霊のいけにえとは「祈り」であり「賛美」です。
"あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。"
ペテロの手紙 第一 2章5節
心も口もすぐに汚れます。「私たちは、舌で、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌で、神の似姿に造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。私の兄弟たち、そのようなことが、あってはなりません。」(ヤコブ3章9~10節)
汚い部屋を掃除するのに大事ことは、ゴミやヨゴレが見えるように明るくすることです。薄暗い部屋だと目立ちません。
神様のことばは光です。神様の真理のことばが入ると、逆に汚いことばが落ちていることがわかります。悪意や妬みや嘘を発見したら、目を背けずに、認めましょう。そしてちゃんとそれを拾って、神様に告白して捨てましょう。
教会の中にも入り込んでくる悪意のあるウワサとか、議論とか、暴露ネタとか、そういうものは神様にとっては不要ゴミです。
純粋な神様のみことばから与えられる祈り、賛美、感謝が僕らの心と口をいつも満たしますように。ハレルヤ!
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