ピリピ2.5-8
12月に入ると、街がなんとなくクリスマスっぽくキラキラします。イエス様がこの世界に来てくださって、栄光と力と愛を現してくださったことは僕らにとって喜びだし光です。イエス様が地上に来られて、死者を復活させ、風や波を静め、困ってる人に寄り添い、魚とパンを大勢の人たちに与え、ペテロが耳を切り落とした相手の耳を再生させ、歩けない人を歩かせ、盲人を見えるように、聞こえない人は聞こえるようにしてくださいました。イエス様が来てくださったことは喜びです。
…でも一方で、すべての富と栄光を持っておられる方が、全てを手放して貧しくなってくださったと聖書は伝えます。
"キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。
キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、
自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。"
ピリピ人への手紙 2章5~8節
御使いたちもひれ伏して賛美を受ける方が、その立場を手放してくださいました。全てを持っている方が貧しくなり、飼い葉桶は借り物、小さいロバも借り物、過越の部屋も借り物、そしてお墓も借り物です。イエス様はあえて「神としてのあり方を捨てられないとは考えず…しもべの姿を」とってくださいました。栄光の神様が、悲しみ、涙し、叫び、苦しみ、痛み、渇き、飢え、そして死ななければならない肉体を持つ人として来てくださいました。
ヘブル2章14節には「子たちがみな血と肉を持っているので、イエスもまた同じように、それらのものをお持ちになりました。」とあります。
もし、僕らが「イエス様降誕!!」を企画できたら、お城のような豊かな家庭に生まれさせて、一流大学で教育を受けさせて、リッチな有名人かつ人気者にして、みんなから好かれ、尊敬されるように仕向けたかもしれません。でも、神様のご計画は真逆でした、不衛生な家畜小屋で、しかも貧しくて若いカップルを通してこの世に降りて来られました。大工として仕事をし、30才からはワガママで扱いづらい弟子たちと一緒に枕もない生活でした。
これがイエス様の御降誕です。僕らの貧しさと苦しみに連帯してくださる憐れみ深い、忠実な大祭司イエス様の姿です。
"キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。"
ピリピ人への手紙 2章5節
クリスマス時期、もう一度イエス様のへりくだりを思い出し、感謝し、イエス様に従いましょう。弱く小さい僕らのために、最底辺を選んで来てくださいました。この思いを、僕らも抱くことができますように。
0 件のコメント:
コメントを投稿