民数記19章
神様にとって「死ぬこと」は汚れたものであり、忌み嫌うべきものです。「死ぬ」とは本来、人が神様から離れた結果です。「神様に近づく」=「命」です。「神様から離れる」=「死」です。
神様は「死」を嫌い、死人に触れた人さえ「汚れたもの」とみなされます。
クリスチャンも神様が嫌う罪を持っています。罪の結果は「死」=「神様から離れること」です。
旧約の時代、汚れた人は聖なる人々からも切り離されました。礼拝もできず、人々の中で生活することもできなくなりました。「汚れ」「罪」は僕らを神様から引き離します。クリスチャンでもそうでなくても同じです。僕らもしょっちゅう罪によって、神様から離れそうになることがあります。
罪があるとどこか気まずいし、距離を感じるし、神様も教会の仲間も「怖い」と思います。良心がきよめられて平安が戻るまで、前みたいに喜んで神様の前に行けなくなります。
旧約聖書の儀式はイエス様による罪のきよめと回復をあらかじめ予告するために与えられました。神様は「死」を「汚れ」として嫌われます。きよめられるまでは神様とは交われません。それでも神様はきよめられる儀式を制定されました。この儀式は新約聖書「ヘブル人への手紙」によって解説されています。
"死人に触れる者は、それがどの人のものであれ、七日間汚れる。
その者は三日目と七日目に、先の水で身の汚れを除いて、きよくなる。三日目と七日目に身の汚れを除かなければ、きよくならない。
死人、すなわち死んだ人間のたましいに触れ、身の汚れを除かない者はみな、主の幕屋を汚す。その者はイスラエルから断ち切られる。その者は汚れを除く水を振りかけられていないので汚れていて、その者の中になお汚れがあるからである。"
民数記 19章11~13節
神様は「汚れを除く水」を作り、それをふりかけるようにいます。
"人が天幕の中で死んだ場合のおしえは次のとおりである。その天幕に入る者と、天幕の中にいる者はみな、七日間汚れる。
ふたをしていない口の開いた器もみな、汚れる。
また、野外で、剣で刺し殺された者、死人、人の骨、墓に触れる者はみな、七日間汚れる。
この汚れた者のためには、罪のきよめのために焼いて作った灰を取り、器に入れ、それに新鮮な水を加える。
きよい人がヒソプを取ってこの水に浸し、それを天幕に、すべての器の上に、そこにいた者の上に、また骨、刺し殺された者、死人、墓に触れた者の上にかける。
そのきよい人が、それを汚れた者に三日目と七日目に振りかけ、七日目にその人の汚れを除くことになる。その人は衣服を洗い、水を浴びる。その人は夕方にはきよくなる。
汚れた者が身の汚れを除かなければ、その人は集会の中から断ち切られる。主の聖所を汚したからである。汚れを除く水がその人に振りかけられなかったので、その人は汚れている。"
民数記 19章14~20節
この「汚れを取り除く水」は「罪をきよめるために、身代わりに殺された動物が完全に焼かれた灰」を使います。その「きよめるための灰」を作るために、まずは傷のない赤い牛が宿営の外で殺されます。これはイエス様が「民を聖なるものとするために、宿営の外で殺された」(ヘブル13.12)ことを表しています。身代わりに動物が殺され焼かれて「灰」が作られ、それを使って「汚れを取り除く水」が作られます。その水を振りかけられることできよめられます。
"主はモーセとアロンに告げられた。
「主が命じるおしえの定めは、こうである。イスラエルの子らに告げよ。まだくびきを負わせたことがなく、傷のない完全な、赤い雌牛をあなたのところに引いて来るようにと。
あなたがたはそれを祭司エルアザルに渡す。そして宿営の外に引き出し、彼の前で屠る。"
民数記 19章1~3節
"その雌牛は彼の目の前で焼き、皮と肉と血を汚物とともに焼く。"
民数記 19章5節
"それから、きよい人がその雌牛の灰を集め、宿営の外のきよい所に置く。そして、イスラエルの会衆のために、汚れを除く水を作るために保存しておく。これは罪のきよめのささげ物である。"
民数記 19章9節
神様は今日も汚れを嫌われます。そして、罪と汚れは僕らを神様から遠ざけます。それでも神様の側から手を差し伸べてくれています。僕らがもう一度神様に近づくことができるため、イエス様が身代わりに神様から引き離され「わが神、どうしてわたしを捨てられたのですか」(マタイ27.45)と苦しみ、血を流し、捨てられ、呪われたものとなってくださいました。
"雄やぎと雄牛の血や、若い雌牛の灰を汚れた人々に振りかけると、それが聖なるものとする働きをして、からだをきよいものにするのなら、
まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。"
ヘブル人への手紙 9章13~14節
雄牛の血でさえ人々をきよめたなら、キリストの血は完璧です。僕らを内側から作り替えてくださいます。良心をきよめ、大胆に、自由に、喜んで神様に近づく人にしくれます。
罪を放置すると苦しみます。それは体を緊張させ、神様との関係も隣人との関係も不自由にします。僕らに必要なのはイエス様の血によるきよめです。自由です。僕らはまた戻れます。何度失敗しても、赦されます。今日もイエス様の十字架の前に行って罪を告白しましょう。イエス様の十字架の血は僕らをきよめます。しかも、内側からきよくしてくださいます。今日も罪を神様に認めて、告白して、赦してもらい、神様のところに戻りましょう。大丈夫です!
"わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよくなる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、
あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。"
エゼキエル書 36章25~26節
"心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。"
ヘブル人への手紙 10章22節
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