ローマ11.11-24
なんでイスラエルのために祈るの?!
イスラエル関連のニュースを見聞きすると悲しく暗くなることが多いです。
そもそもなぜ聖書はイスラエルのために祈るように教えるのでしょうか。
●本当はイスラエルのために用意された祝福
「貧乏で愛もないひどい家で育ったけど、結婚してみたら相手はお金持ちで愛に溢れてて、私は癒され満たされた」とか「孤児で栄養失調だったけど、迎えてくれた新しい両親は優しくて愛に溢れてて、幸せになった」とか、どれもいい話ですが僕らにとってはリアルです。迎えてくれた最高のお父さんは神様です。(ガラテヤ4.7、ローマ8.14)最高の結婚相手はキリストです。(エペソ5.31-32、2コリント11.2)
もともと、子どもの身分や花嫁の祝福と栄光はイスラエルのものでした。(イザヤ54.5、エレミヤ2.2、ホセア全体)イスラエルは神様の愛する子どもだし、愛される花嫁です。イスラエルも神様を愛し、喜び、祝福と栄光の中を歩む予定でした。僕らがもらっている神様からの良いものは、もともとイスラエルのために用意されたものです。
"彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法の授与も、礼拝も、約束も彼らのものです。"
ローマ人への手紙 9章4節
●その祝福を受け継いだのが異邦人クリスチャン
イスラエル人たちは神様とその素晴らしい祝福を知りながら、「神としてあがめず、感謝もせず」反抗しました。そして神様の家を出て離れていきました。
僕らは長男が家出した素晴らしい家に住まわせてもらってるみたいです。しかも、愛や祝福や栄光まで子どもと同じように与えられてます。
僕らが受け継いだ祝福や栄光は、本来イスラエルのために用意されたものです。
聖書はそれを「豊かな養分をもらっている接ぎ木された枝のよう」といいます。本来の枝はイスラエルです。だのに彼らは折られ、離れてしまいました。関係なかった僕らは祝福の木につながり、豊かな愛と祝福の養分を今も受け続けています。
"枝の中のいくつかが折られ、野生のオリーブであるあなたがその枝の間に接ぎ木され、そのオリーブの根から豊かな養分をともに受けているのなら、
あなたはその枝に対して誇ってはいけません。たとえ誇るとしても、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。"
ローマ人への手紙 11章17~18節
僕らが祝福されているのは、恵みでありいつくしみです。「事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」(9.16)いい人間だったかのように思い上がったり、離れてしまったイスラエルを見下したりはできません。「思い上がることなく、むしろ恐れなさい」と聖書は言います。(20)イスラエルのために用意されていた祝福をいただいているだけです。僕らは何も知らなかった孤児みたいです。イエス様に見つけ出してもらい、受け入れられ愛されています。威張れるものは何もありません。
●神様の願いはイスラエルが神様に戻ってくること
イスラエルは僕らよりも簡単に回復することができます。「神は、彼らを再び接ぎ木することがおできになるのです。」(23)「彼らは、もっとたやすく自分の元のオリーブに接ぎ木されるはずです」(24)
僕らが祝福を受けて愛も平安も喜びももらっている姿を見たイスラエルが「いいなぁ、私も欲しいなぁ。」と思うことを神様は願っておられます。これを「ねたみを起こさせる」(11)といいます。ここでの「ねたみ」は憎しみとか嫌悪ではなく、祝福や愛を異邦人が先にもらっていることを「欲しい」と思うことです。
"それでは尋ねますが、彼らがつまずいたのは倒れるためでしょうか。決してそんなことはありません。かえって、彼らの背きによって、救いが異邦人に及び、イスラエルにねたみを起こさせました。
彼らの背きが世界の富となり、彼らの失敗が異邦人の富となるのなら、彼らがみな救われることは、どんなにすばらしいものをもたらすことでしょう。"
ローマ人への手紙 11章11~12節
"私は何とかして自分の同胞にねたみを起こさせて、彼らのうち何人かでも救いたいのです。"
ローマ人への手紙 11章14節
イスラエルが戻ってくるのは僕らよりも簡単です。接ぎ木され、祝福の養分を豊かに受けることができます。本来イスラエルのものだからです。
"あなたが、本来野生であるオリーブから切り取られ、元の性質に反して、栽培されたオリーブに接ぎ木されたのであれば、本来栽培された枝であった彼らは、もっとたやすく自分の元のオリーブに接ぎ木されるはずです。"
ローマ人への手紙 11章24節
僕らは野生種でした。だのに神様からの恵みを受けています。だから「思い上がることなく、むしろ恐れなさい」です。(20)そして、神様は本来のイスラエルにも与えたいと願っておられます。イスラエルを退けたのでも、見捨てたのでもありません。
"それでは尋ねますが、神はご自分の民を退けられたのでしょうか。決してそんなことはありません。この私もイスラエル人で、アブラハムの子孫、ベニヤミン族の出身です。
神は、前から知っていたご自分の民を退けられたのではありません。"
ローマ人への手紙 11章1~2節
聖書の祈りはイスラエルの救いを願うことです。これが神様の願いです。
"兄弟たちよ。私の心の願い、彼らのために神にささげる祈りは、彼らの救いです。"
ローマ人への手紙 10章1節
政策や戦争の問題があったとしても、神様の願いはイスラエルも異邦人も区別なく救われることです。すべての人が罪人です。世界は罪ゆえの問題だらけです。それでも神様がイスラエルに対して今日も手を差し伸べていることは間違いありません。戦争に関係なく神様はイスラエルを愛しておられます。まるで反抗して家を出て行った長男のようです。それでも親は祈ります。戻ってくるのを待ち、手を差し伸べ続けています。
"そして、イスラエルのことをこう言っています。「わたしは終日、手を差し伸べた。不従順で反抗する民に対して。」"
ローマ人への手紙 10章21節
威張らないで、見下さないで今日も祈りましょう。神様が僕らをあわれんでくださったように、頑固になっているイスラエルのためにあわれみを祈りましょう。何もなかった僕らが先にこんな恵みと愛の中に入れられたように、神様、どうぞ彼らをあわれんでください。神様が愛しているイスラエルをいつくしみ、あわれみ、救ってください。助けてください。
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