詩篇89篇 1節から29節 メッセージ「キリストの勝利を確信する賛美」
今日の詩篇を書いた人の名前が表題にあります。
「エズラフ人エタンのマスキール。」マスキールは教えのための歌、と言われます。
「エタン」と言う人がどんな人か調べたら、ダビデが作った賛美チームのリーダーの一人でした。(1歴代15章)音楽家でありながら預言者です。彼がどんな状況でこの詩篇を作ったのか、後ろのほうに書いてあります。
"いつまでですか。主よ。あなたがどこまでも身を隠されあなたの憤りが火のように燃えるのは。"
詩篇 89篇46節
彼も辛い経験をし、苦しみの中で神様に求めていることがわかります。「神様は私を怒っておられるんだろうか…」という不安の中での賛美です。
僕らも同じように、「どうしてですか、いつまでですか、この先どうなっちゃうんですか」と恐れる日もあります。周りから攻撃されたり、病気になったり、お金の問題があったり、必ずあることです。でも
その時に彼がどのようにに賛美していったのか、すごく教えられます。
賛美する事は、なくならない神様の恵みを宣言することです。
●歌うことは真実を宣言し伝えること
不安があると僕らはいろいろ悪いことを想像します。でも、賛美を歌うことはそれとは真逆です。神様の恵みと真実を宣言し伝えます。
"私は主の恵みをとこしえに歌います。あなたの真実を代々限りなく私の口で知らせます。
私は言います。「御恵みはとこしえに打ち立てられ あなたはその真実を天に堅く立てておられます。」"
詩篇 89篇1~2節
歌うことは音楽をすることじゃなくて、神様が言っておられることを自分にも知らせて確認し、周りにも宣言して告白し宣言する役目があります。歌うことは、知らせることです。
歌えば歌うほど、恵みと真実は自分にも周りにも確かなものとなります。
毎日、神様のめぐみを歌いましょう。
大事なことは音楽をするのではなくて、神様のことを宣言することです。
神様の愛と恵は永遠です。「御恵みはとこしえに打ち立てられ あなたはその真実を天に堅く立てておられます。」絶対になくならない愛と真実です。
賛美チームが練習したり、ゆったりで歌ったり練習したりするけど、ポイントは「うまいかどうか」ではなく、「神様の真実をちゃんと宣言して歌っているか」です。これは賛美チームだけじゃなく、ゴスペルチームだけでなく、みんなそうです。曲がオシャレでかっこよくても、歌詞の意味がボヤけるならダメなんです。僕らは毎回集まって真実を宣言しています。それが教会の歌です。礼拝じゃなくても、日曜でなくても、毎日宣言しましょう。歌いましょう。
昔、CMソングをたくさん作りました。スポンサーがお金を出す理由は、商品名をはっきりとわかりやすく、心に残るようにするためです。「そんな歌格好悪い、ダサい」って思いますが、スポンサーもスタッフも曲を作ってるんじゃなくて、広告を作ってるんです。「商品名が広く心に届き、残り、覚えてもらえるものを作ってください」っていつも言います。
同じように僕らは音楽を聴かせるのでなく、神様の恵みと真実を歌い、宣言し、伝えます。これが教会の歌の役目です。広告と同じです。
"私は主の恵みをとこしえに歌います。あなたの真実を代々限りなく私の口で知らせます。
私は言います。「御恵みはとこしえに打ち立てられあなたはその真実を天に堅く立てておられます。」"
詩篇 89篇1~2節
神様の約束は真実です。僕らはコロコロ変わります。でも、神様の恵みは変わることがありません。僕ら人に胸を張って宣言することができるのは、変わらない真実はこの神様のことばだけです。これを宣言し、伝え、覚えます。歌は僕らに確信を与えます。人にも確信を与えます。
今この地上では悲しいこと苦しいことがあるんだけど、天では違います。天使たちの大軍勢が神様の素晴らしさを、賛美しています。僕らは「何でですか、いつまでですか」と恐れるけど、天では一切恐れも悲しみもありません。ただ神様の勝利と栄光が宣言され、喜んで賛美していることがわかります。
エタンは天の賛美に目を留めて、天にいるかのようなイメージで宣言し歌います。
"主よ天はあなたの奇しいみわざをほめたたえます。まことにあなたの真実を聖なる者の集いで。"
詩篇 89篇5節
僕のルーティンですが、毎日できれば30分はピアノ弾きながら歌ってます。心がけは歌を歌うんじゃなくて「神様はこうです」という歌詞とともに宣言し祈る、信仰の告白であるように、です。
その時に僕がイメージするのは、この部屋で歌ってるんじゃなくて天の大軍勢が神様の御座の前で歌っていて、それに参加するイメージです。あの圧倒的な栄光の王座の前で、数えきれない天の大軍勢が喜んで歌ってる、その天国礼拝に参加させてもらうイメージで歌います。これは妄想でなくて、霊的な現実です。そうさせてくれるのは、僕の中におられるイエス様の御霊、聖霊です。聖霊が一緒に歌ってくれるし、歌わせてくれます。聖霊の助けがないと、意味が心に入らないし、ただ音楽だけ、形だけになってしまいます。
この部屋で、天使たちと、天の礼拝の声と僕らの声が合わされて神様をほめたたえるんです。苦しみの中ででも天では賛美が満ちています。勝利と神様の栄光が満ちています。その礼拝をイメージして歌っています。
それが5節から7節です
(5-7)
5,主よ天はあなたの奇しいみわざをほめたたえます。まことにあなたの真実を聖なる者の集いで。
6,いったい雲の上ではだれが主と並び得るでしょう。力ある者の子らの中でだれが主に似ているでしょう。
7,主は聖なる者の会合で大いに恐れられる神。主を囲むすべての者の上におられる恐るべき方。
どんなに悲しく苦しい時でも、天では主が勝利し、栄光の神様が讃えられています。だから僕らも目を天に向けましょう。心を天に向けましょう。いつも地上で見せられ、聞かされるのは暗いニュースばかりです。だからこそ、僕らは心を天に向けて賛美します。
賛美を歌うことは、真実を宣言し伝えることです!
●なくならないキリストの支配
そしてもう一つ、彼が歌の中で宣言したのは神様の約束です。絶対になくならない永遠の契約です。3節です。これはクリスマスとすごく関係があります。
"「わたしはわたしの選んだ者と契約を結びわたしのしもべダビデに誓う。
わたしはあなたの裔をとこしえまでも堅く立てあなたの王座を代々限りなく打ち立てる。」"
詩篇 89篇3~4節
神様はまず、ダビデというイスラエルの王様と契約を結び、誓ってくれました。誓ってくれた内容は「あなたの裔をとこしえまでも堅く立てあなたの王座を代々限りなく打ち立てる。
」です。裔(単数)とは明らかにイエス様です
今から約2000年前、この御言葉の通りにダビデの子孫として、イエス様がお生まれになりました
それを感謝するのがクリスマスです。
ダビデが王様になることと、「ダビデの子孫から出る一人が永遠の王となる」というのが神様の誓いです。つまりイエス様が王様となる、その誓いはなくならない、ってことです。それを宣言して歌います。
"わたしはわたしのしもべダビデを見出しわたしの聖なる油で油を注いだ。
わたしの手は彼とともにあって揺るがずわたしの腕も彼を強くする。
敵が彼に害を加えることはなく不正な者も彼を苦しめることはない。
わたしは彼の前で彼の敵を打ち砕き彼を憎む者を打ち破る。
わたしの真実とわたしの恵みは彼とともにありわたしの名によって彼の角は高く上げられる。"
詩篇 89篇20~24節
「油注がれた者」はヘブライ語で言うと「メシア」です。ギリシャ語にすると「キリスト」って言うんです。
ダビデの子孫として生まれたイエスこそ、預言されていたキリストです。ダビデのことを言いながら、その子孫として永遠の王様になるキリストのことを言っています。その力と栄光と主権は永遠です。
"わたしもまた彼をわたしの長子 地の王たちのうちの最も高い者とする。
わたしの恵みを彼のために永遠に保つ。わたしの契約は彼にとって確かなものである。
わたしは彼の子孫をいつまでも彼の王座を天の日数のように続かせる。"
詩篇 89篇27~29節
これを歌います。宣言します。神様がこうおっしゃった、と歌うんです。イエス様の王権はなくならないし、今日もいつまでも王様です。天ではイエス様がほめたたえられています。
このイエス様を妊娠したのは、マリヤです。
マリアが妊娠した時に天の御使いは言います。
「あなたに生まれる赤ちゃんは、ダビデの子孫です。ダビデに誓われていた王様をあなたは産みます。」と。
(ルカ1.31-33)
見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。
その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」
マリヤは、戸惑ったと思います。男を知らないのに妊娠したことも戸惑ったけど、あのダビデの子孫、王様キリストがこの子?と驚いたと思います。
人は変わるし忘れられていきます。でも、神様の恵みの約束は永遠で真実です。それは変わりません。神様が誓った通りのキリストがダビデの子孫として来られました。もうイエス様の王権はスタートしています。そして、やがて誰の目にも明らかになると聖書に預言されています。
クリスチャンだけが、聖霊を受けた人だけが、これがイエス様のことだとわかる人です。僕らは特別に祝福されたものです。それがどんなに幸いか、喜びか、祝福か、15節からです。
(15)
幸いなことよ喜びの叫びを知る民は。主よ彼らはあなたの御顔の光の中を歩みます。
彼らはあなたの御名をいつも喜びあなたの義によって高く上げられます。
人は闇の中を歩みます。でも、聖霊によってイエス様の王権がわかる人は、神様の光の中を歩みます。
今日も神様は僕らに言ってくださいます。そして僕らも宣言します。
世界の王様はイエス・キリストです。
僕らの周りは暗く、僕らも引きずられて不安になりがちです。だからこそ、聖書は歌って覚えるように、歌って宣言するように、確認するように勧めます。
●もう一度来られるキリスト
すでに2000年前イエス様は誓いの通り来られました。そしてもう一度地上に来られます。もう一度来られた時には、本当にリアルに、誰の目にも明らかに、この世界はイエス様の王権の下になります。
クリスチャンに与えられる未来がどんなに凄いのか、みんなの心の目が開かれるように、いつも祝祷でこの祈りをしています。
「あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか(…中略…)どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。」(エペソ1.18-19)
この祈りには続きがあります。
(エペソ1.20-21)
20,この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、
21,すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。
やがて来られたとき、イエス様はこの地上でも天上でも「すべての支配、権威、権力、主権の上」に立ちます。これは決定事項です。
そしてこの王権は終わることがありません。
この約束は絶対に変わりません。
33節はいいます。
"しかしわたしは彼から恵みをもぎ取らずわたしの真実を偽らない。
わたしはわたしの契約を汚さない。唇から出たことをわたしは変えない。
わたしはかつてわが聖によって誓った。わたしは決してダビデに偽りを言わないと。
彼の子孫はとこしえまでも続く。その王座は太陽のようにわたしの前にあり
月のようにとこしえに堅く立つ。その子孫は雲の上の確かな証人である。」"
詩篇 89篇33~37節
●まとめと適用
歌うことは、宣言することです。
皆さんの暗闇はなんでしょう。今置かれている苦しみはなんでしょう。
その中でも、天では約束された勝利のがあることを聖書ははっきり宣言しています。
そしてそれを歌おう、と言います。
妄想でなく、真実、不安でなく確かな約束を伝え、宣言し、確認することです。歌は伝え、覚えます。歌は僕らに確信を与えます。
人にも確信を与えます。
みことばの真実を歌いましょう。神様の約束の確さを歌いましょう。
いろんな動画を見ると思うけど、やっぱり毎日賛美しましょう。賛美の動画たくさんあります。御霊によって、音楽を聴くのでなくて、約束を一緒に宣言しましょう。
"私は主の恵みをとこしえに歌います。あなたの真実を代々限りなく私の口で知らせます。
私は言います。「御恵みはとこしえに打ち立てられあなたはその真実を天に堅く立てておられます。」"
詩篇 89篇1~2節