2025年12月12日金曜日

1ペテロ2.1-10

 1ペテロ2.1-10


教会でも話し合いがあります。目標は「神様の御心を求めて」の話し合いなんだけど、僕らは弱くてどうしても悪意やねたみや悪口などが混ざり込んでしまいます。汚い心のままで意見が通って「これが主の御心でした」なんて恥ずかしく虚しいものです。聖書は悪意もウソも偽善もねたみも悪口も入り込むことを認めて、捨てるように、と教えます。


"ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、

生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。"

ペテロの手紙 第一 2章1~2節



自分に聞いてみるとわかります。「あなたは自分のプライド求めていますか?それとも神様の栄光を求めてますか?」「あなたは神様の真理と主権を求めてますか?それとも自分の意見と計画ですか?」「あなたは相手を下げようとしてますか?それとも相手を愛して神様に喜ばれようとしてますか?」つまり、「関心は神様にありますか?人ですか?」です。神様の前では全てが明らかだし、心の中のつぶやきも全部聞かれています。「その発言、神様の前でも言えますか?」と問われると恥ずかしくなります。「心に満ちていることを口が話すのです。」(マタイ12.34)


だからまず認めるべきことは「醜い、恥ずかしい悪意があること」です。そして、それをちゃんと神様に告白して、ちゃんと恥ずかしい悪意があることを神様に報告して手放す祈りをすることです。


次に求めるのは、神様の純粋な神様のことばです。神様のことばは混ざりものがありません。「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」(2)僕らの意見は神様のことばを濁らせすぎです。


僕らは神様のものとされ、祭司として任命されました。祭司は口で「神に喜ばれる霊のいけにえを」ささげます。霊のいけにえとは「祈り」であり「賛美」です。



"あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。"

ペテロの手紙 第一 2章5節


心も口もすぐに汚れます。「私たちは、舌で、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌で、神の似姿に造られた人間を呪います。同じ口から賛美と呪いが出て来るのです。私の兄弟たち、そのようなことが、あってはなりません。」(ヤコブ3章9~10節)



汚い部屋を掃除するのに大事ことは、ゴミやヨゴレが見えるように明るくすることです。薄暗い部屋だと目立ちません。

神様のことばは光です。神様の真理のことばが入ると、逆に汚いことばが落ちていることがわかります。悪意や妬みや嘘を発見したら、目を背けずに、認めましょう。そしてちゃんとそれを拾って、神様に告白して捨てましょう。


教会の中にも入り込んでくる悪意のあるウワサとか、議論とか、暴露ネタとか、そういうものは神様にとっては不要ゴミです。

純粋な神様のみことばから与えられる祈り、賛美、感謝が僕らの心と口をいつも満たしますように。ハレルヤ!


もろびとこぞりて 歌詞を現代訳にしてみました


もろびとこぞりて 歌詞を現代訳にしてみました
 


1

世界よ迎えよ 主は来られた
心を開いて 喜び迎えよ
主は来られた 主は来られた

主は主は来られた


2

悪魔の支配を 打ち砕いて
自由と喜び 与えてくださる
主は来られた 主は来られた

主は主は来られた

3

光を放つ主 闇を照らし

光と喜び 与えてくださる
主は来られた 主は来られた

主は主は来られた

4

しぼめる心に 花を咲かせ
恵みの露を 与えてくださる
主は来られた 主は来られた

主は主は来られた

5

世界よ迎えよ 平和の主を
救い主イエスを 喜びたたえよう
ほめたたえよう ほめたたえよう

ほめ ほめたたえよう

2025年12月11日木曜日

1ペテロ1.13-25

 1ペテロ1.13-25


いつも僕らの目の前には2つの道があるようです。自分の欲望や計画やに従うか、聖なる神様に従うかです。放っておくとラクな方、自分のメンツや計画、欲や妬みに流れるのは当然です。「肉が望むことは御霊に逆らい、御霊が望むことは肉に逆らう」(ガラテヤ5.17)だからこそ聖書は「心を引き締め」「欲望に従わず」「聖なる者となりなさい」といいます。(13-15)



"従順な子どもとなり、以前、無知であったときの欲望に従わず、

むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。

「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」と書いてあるからです。"

ペテロの手紙 第一 1章14~16節



「聖なる者」とは、神様専用になった人のことです。24時間365日いつも神様と合体した人です。会社員みたいに「今は勤務外だから」とかの区切りはありません。「今はオフで肉欲の時間だから」はありません。ずっと神様の子どもであり、神様の種によって新しく生まれた人です。…でも、そのように生きるためには神様からの「ことば」が必要です。肉に流れていく僕らのために「心を引き締め、身を慎み」なさい、(13)「従順な子どもとなり」なさい、「欲望に従わず、聖なる者となりなさい」と言われます。(14-15)神様からの「ことば」がないとズレていきます。

自動的に兄弟姉妹を愛せるものではありません。「真理に従うことによって」(22)はじめてそれができるようになります。僕らから出たものではなく、神様からみことばを通して与えられた聖なる愛です。


"あなたがたは真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、きよい心で互いに熱く愛し合いなさい。"

ペテロの手紙 第一 1章22節


神様のことば以外の知恵も力も消えていきます。どんなにスゴいことをしても、美しくても、賢くても、消えます。残るのは、ただ聖なる神様のことばと栄光、それだけです。


"「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。

しかし、主のことばは永遠に立つ」とあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。"

ペテロの手紙 第一 1章24~25節


僕らの目の前には今日も2つの道があるようです。自分の欲望と栄光を求める道と、神様のことばと栄光を求める道です。放っておくと自分に流れます。だからこそ、みことばが必要です。真理に従うことによって僕らは聖められていきます。(22)神様のことばは毎日必要です。真理のことばが僕らには必要です。放置しても大丈夫な赤ちゃんはいません。みことばはミルクです。(1ペテロ2.2)毎日聞きましょう。求めましょう。僕らには神様の「ことば」が必要です。





1ペテロ1.1-12

 1ペテロ1.1-12


本気の筋トレの人は「重い、辛い…」と言わず「効いてる効いてるー!」と負荷を喜びます。筋肉の成長や結果を確信しているからです。

同じように、イエス様のための苦しみを忍耐し、敵を赦し愛するすることは辛いけど、とんでもない喜びと栄光と誉れを確実にもたらします。

"そういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならないのですが、

試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたらします。あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。"

ペテロの手紙 第一 1章6~8節

株とか新NISAとかで資産形成、というけど、神様は圧倒的な資産を用意してくださっています。株価の変動とか社会情勢の変化に左右されない絶対的な資産です。

"また、朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これらは、あなたがたのために天に蓄えられています。"

ペテロの手紙 第一 1章4節


この資産は「火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価」な、莫大な資産です。聖書は「クリスチャンは天国に入る」とは言わず「御国を受け継ぐ」と言います。これは「イエス様の資産や王権を一緒に相続する」ことです。その栄光は想像を遥かに超えたものです。(ガラテヤ4:7、Ⅱテモテ2:12など)

人生安定、トラブル回避、と願うけど、神様のプランは「今しばらくの間、様々な試練の中で悲しまなければならない」(6から7節)ものです。理由は、信じて忍耐したことがすべて栄光に変わる時が来るからです。それは最高の資産形成です。

聖霊を受けた人は、既にわかっているはずです。忍耐すること、赦すこと、犠牲を払って愛することには御霊の喜びがあります。

"あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。"

ペテロの手紙 第一 1章8節

苦しいけど、喜びがあります。悲しいけど希望があります。暗い話に見えるけど、栄光につながっています。今日も忍耐しましょう。赦しましょう。愛しましょう。ハレルヤ!

2025年12月9日火曜日

詩篇89.38-52

 ダビデの子孫であるイエス様が祝福され、その王国が確立する契約は今も有効です。その祝福に僕らも参加させてもらえる約束も確かです。でも同時に、罪を犯す人たちは神の怒りと裁きを受けなければならないのが現実です。この祝福の約束にそむくものは、神様の怒りと裁きを受けます。ダビデの子孫の王たちであっても、その王冠は地に投げ捨てられ、エルサレムの城壁は破られ、侮られ、敵は喜びます。

 

"しかしあなたは拒んでお捨てになりました。あなたは激しく怒っておられます。あなたに油注がれた者に向かって。あなたはあなたのしもべとの契約を廃棄し彼の王冠を地に捨てて汚しておられます。あなたは彼の城壁をことごとく打ち壊しその要塞を廃墟とされました。道行く者はみな彼から奪い取り彼は隣人のそしりの的となっています。"

詩篇 89篇38~41節


最後の王様ゼデキヤの時代に、この預言の通りにエルサレムは完全に崩壊してしまいました。

 
"あなたは彼の輝きを消し彼の王座を地に投げ倒されました。
あなたは彼の若い日を短くし恥で彼をおおわれました。"
詩篇 89篇44~45節 

歴代の王たちは自分の罪で神様に拒まれましたが、イエス様は罪がないのに他人の不従順の罪を背負って拒まれました。38節の「あなた(神様)は激しく怒っておられます。あなたに油注がれた者に向かって。あなたはあなたのしもべとの契約を廃棄し彼の王冠を地に捨てて汚しておられます。」はイエス様が引き受けてくださった神様の怒りと裁きです。イエス様はいばらの冠を被せられ、人々に嘲られ 「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫びます。

ダビデの子孫であるイエス様の王国が確立する契約は今も有効です。その祝福に僕らも参加させてもらえる約束も確かです。でも、それはイエス様が神様の裁きと怒りを身代わりに背負ってくださり、一度捨てられた王となってくださったからです。
もう一度、イエス様が払ってくださった犠牲の大きさを思い出して感謝しましょう。 怒りはイエス様に注がれました「あなたは拒んでお捨てになりました。あなたは激しく怒っておられます。あなたに油注がれた者に向かって。」「あなたは彼の輝きを消し彼の王座を地に投げ倒されました」

2025年12月8日月曜日

詩篇89.30-37

神様がダビデの子孫であるキリストを生まれさせ、「その王権を永遠にする」とおっしゃったことは実現します。神様のことばに嘘はありません。



"わたしはわたしの契約を汚さない。唇から出たことをわたしは変えない。

わたしはかつてわが聖によって誓った。わたしは決してダビデに偽りを言わないと。

彼の子孫はとこしえまでも続く。その王座は太陽のようにわたしの前にあり

月のようにとこしえに堅く立つ。その子孫は雲の上の確かな証人である。」〚セラ〛"

詩篇 89篇34~37節



最終的な、しかも永遠の王様はイエス様です。でもイエス様がお生まれになる前までのダビデの子孫の王様はたくさんいました。その王様たちも祝福を継承するはずだったのに、多くの王は神様に背きます。それでも神様は彼らを見捨てず、あきらめずに教え続けます。



"もしその子孫がわたしのおしえを捨てわたしの定めのうちを歩まないなら

またもし彼らがわたしのおきてを破りわたしの命令を守らないなら

わたしは杖をもって彼らの背きをむちをもって彼らの咎を罰する。

しかしわたしは彼から恵みをもぎ取らずわたしの真実を偽らない。"

詩篇 89篇30~33節



これは僕らにも適用されます。僕らもイエス様と一緒に祝福を受け継ぐし、その約束は絶対になくなることがありません。…だけど僕らは神様からズレて失敗しがちです。それでも恵みの約束は変わらず、正しい教育で、必要なときには試練を通して戻してくださいます。お父さんが子どもを愛するゆえに、ちゃんと叱ったり教えたりするのと同じです。



"主はその愛する者を訓練し、受け入れるすべての子に、むちを加えられるのだから。」

訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が訓練しない子がいるでしょうか。"

ヘブル人への手紙 12章6~7節



イエス様を信じた人たちは、イエス様と一緒に祝福される人たちです。イエス様が長男、僕らは弟妹たちです。(ローマ8章29節、ヘブル2章11節、マタイ12章49節から50節など)


イエス様につながる神様の子どもとしての栄光の約束は絶対になくなりません。…が、今はまだまだボロボロです。だから神様の子どもらしく、聖なる人に成長するためには、今日も叱られたり、試練を通されたりして訓練されます。


"わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。"

ヨハネの黙示録 3章19節


今日も試練はありますが、それは、神様の愛ゆえの訓練です。「しかしわたしは彼から恵みをもぎ取らずわたしの真実を偽らない。」(33)

イエス様は神様としてこの地上に来られ、すべてをリアルに支配されます。そして、なんと僕らも一緒にこの王権に参加します。



"耐え忍んでいるなら、キリストとともに王となる。"

テモテへの手紙 第二 2章12節


僕らの将来は思う以上です。今日も忍耐しながら変えられ続けましょう。「聖徒たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものか」心の目が開かれ、忍耐できますように。(エペソ人への手紙 1章18節)

2025年12月7日日曜日

詩篇89篇 1節から29節 メッセージ「キリストの勝利を確信する賛美」

 詩篇89篇 1節から29節 メッセージ「キリストの勝利を確信する賛美」

今日の詩篇を書いた人の名前が表題にあります。

「エズラフ人エタンのマスキール。」マスキールは教えのための歌、と言われます。


「エタン」と言う人がどんな人か調べたら、ダビデが作った賛美チームのリーダーの一人でした。(1歴代15章)音楽家でありながら預言者です。彼がどんな状況でこの詩篇を作ったのか、後ろのほうに書いてあります。


"いつまでですか。主よ。あなたがどこまでも身を隠されあなたの憤りが火のように燃えるのは。"

詩篇 89篇46節


彼も辛い経験をし、苦しみの中で神様に求めていることがわかります。「神様は私を怒っておられるんだろうか…」という不安の中での賛美です。


僕らも同じように、「どうしてですか、いつまでですか、この先どうなっちゃうんですか」と恐れる日もあります。周りから攻撃されたり、病気になったり、お金の問題があったり、必ずあることです。でも

その時に彼がどのようにに賛美していったのか、すごく教えられます。

賛美する事は、なくならない神様の恵みを宣言することです。


●歌うことは真実を宣言し伝えること


不安があると僕らはいろいろ悪いことを想像します。でも、賛美を歌うことはそれとは真逆です。神様の恵みと真実を宣言し伝えます。


"私は主の恵みをとこしえに歌います。あなたの真実を代々限りなく私の口で知らせます。

私は言います。「御恵みはとこしえに打ち立てられ あなたはその真実を天に堅く立てておられます。」"

詩篇 89篇1~2節


歌うことは音楽をすることじゃなくて、神様が言っておられることを自分にも知らせて確認し、周りにも宣言して告白し宣言する役目があります。歌うことは、知らせることです。

歌えば歌うほど、恵みと真実は自分にも周りにも確かなものとなります。


毎日、神様のめぐみを歌いましょう。

大事なことは音楽をするのではなくて、神様のことを宣言することです。


神様の愛と恵は永遠です。「御恵みはとこしえに打ち立てられ あなたはその真実を天に堅く立てておられます。」絶対になくならない愛と真実です。


賛美チームが練習したり、ゆったりで歌ったり練習したりするけど、ポイントは「うまいかどうか」ではなく、「神様の真実をちゃんと宣言して歌っているか」です。これは賛美チームだけじゃなく、ゴスペルチームだけでなく、みんなそうです。曲がオシャレでかっこよくても、歌詞の意味がボヤけるならダメなんです。僕らは毎回集まって真実を宣言しています。それが教会の歌です。礼拝じゃなくても、日曜でなくても、毎日宣言しましょう。歌いましょう。


昔、CMソングをたくさん作りました。スポンサーがお金を出す理由は、商品名をはっきりとわかりやすく、心に残るようにするためです。「そんな歌格好悪い、ダサい」って思いますが、スポンサーもスタッフも曲を作ってるんじゃなくて、広告を作ってるんです。「商品名が広く心に届き、残り、覚えてもらえるものを作ってください」っていつも言います。


同じように僕らは音楽を聴かせるのでなく、神様の恵みと真実を歌い、宣言し、伝えます。これが教会の歌の役目です。広告と同じです。


"私は主の恵みをとこしえに歌います。あなたの真実を代々限りなく私の口で知らせます。

私は言います。「御恵みはとこしえに打ち立てられあなたはその真実を天に堅く立てておられます。」"

詩篇 89篇1~2節


神様の約束は真実です。僕らはコロコロ変わります。でも、神様の恵みは変わることがありません。僕ら人に胸を張って宣言することができるのは、変わらない真実はこの神様のことばだけです。これを宣言し、伝え、覚えます。歌は僕らに確信を与えます。人にも確信を与えます。


今この地上では悲しいこと苦しいことがあるんだけど、天では違います。天使たちの大軍勢が神様の素晴らしさを、賛美しています。僕らは「何でですか、いつまでですか」と恐れるけど、天では一切恐れも悲しみもありません。ただ神様の勝利と栄光が宣言され、喜んで賛美していることがわかります。

エタンは天の賛美に目を留めて、天にいるかのようなイメージで宣言し歌います。


"主よ天はあなたの奇しいみわざをほめたたえます。まことにあなたの真実を聖なる者の集いで。"

詩篇 89篇5節


僕のルーティンですが、毎日できれば30分はピアノ弾きながら歌ってます。心がけは歌を歌うんじゃなくて「神様はこうです」という歌詞とともに宣言し祈る、信仰の告白であるように、です。

その時に僕がイメージするのは、この部屋で歌ってるんじゃなくて天の大軍勢が神様の御座の前で歌っていて、それに参加するイメージです。あの圧倒的な栄光の王座の前で、数えきれない天の大軍勢が喜んで歌ってる、その天国礼拝に参加させてもらうイメージで歌います。これは妄想でなくて、霊的な現実です。そうさせてくれるのは、僕の中におられるイエス様の御霊、聖霊です。聖霊が一緒に歌ってくれるし、歌わせてくれます。聖霊の助けがないと、意味が心に入らないし、ただ音楽だけ、形だけになってしまいます。


この部屋で、天使たちと、天の礼拝の声と僕らの声が合わされて神様をほめたたえるんです。苦しみの中ででも天では賛美が満ちています。勝利と神様の栄光が満ちています。その礼拝をイメージして歌っています。


それが5節から7節です


(5-7)

5,主よ天はあなたの奇しいみわざをほめたたえます。まことにあなたの真実を聖なる者の集いで。

6,いったい雲の上ではだれが主と並び得るでしょう。力ある者の子らの中でだれが主に似ているでしょう。

7,主は聖なる者の会合で大いに恐れられる神。主を囲むすべての者の上におられる恐るべき方。


どんなに悲しく苦しい時でも、天では主が勝利し、栄光の神様が讃えられています。だから僕らも目を天に向けましょう。心を天に向けましょう。いつも地上で見せられ、聞かされるのは暗いニュースばかりです。だからこそ、僕らは心を天に向けて賛美します。

賛美を歌うことは、真実を宣言し伝えることです!


●なくならないキリストの支配


そしてもう一つ、彼が歌の中で宣言したのは神様の約束です。絶対になくならない永遠の契約です。3節です。これはクリスマスとすごく関係があります。


"「わたしはわたしの選んだ者と契約を結びわたしのしもべダビデに誓う。

わたしはあなたの裔をとこしえまでも堅く立てあなたの王座を代々限りなく打ち立てる。」"

詩篇 89篇3~4節


神様はまず、ダビデというイスラエルの王様と契約を結び、誓ってくれました。誓ってくれた内容は「あなたの裔をとこしえまでも堅く立てあなたの王座を代々限りなく打ち立てる。

」です。裔(単数)とは明らかにイエス様です


今から約2000年前、この御言葉の通りにダビデの子孫として、イエス様がお生まれになりました

それを感謝するのがクリスマスです。

ダビデが王様になることと、「ダビデの子孫から出る一人が永遠の王となる」というのが神様の誓いです。つまりイエス様が王様となる、その誓いはなくならない、ってことです。それを宣言して歌います。


"わたしはわたしのしもべダビデを見出しわたしの聖なる油で油を注いだ。

わたしの手は彼とともにあって揺るがずわたしの腕も彼を強くする。

敵が彼に害を加えることはなく不正な者も彼を苦しめることはない。

わたしは彼の前で彼の敵を打ち砕き彼を憎む者を打ち破る。

わたしの真実とわたしの恵みは彼とともにありわたしの名によって彼の角は高く上げられる。"

詩篇 89篇20~24節


「油注がれた者」はヘブライ語で言うと「メシア」です。ギリシャ語にすると「キリスト」って言うんです。


ダビデの子孫として生まれたイエスこそ、預言されていたキリストです。ダビデのことを言いながら、その子孫として永遠の王様になるキリストのことを言っています。その力と栄光と主権は永遠です。


"わたしもまた彼をわたしの長子 地の王たちのうちの最も高い者とする。

わたしの恵みを彼のために永遠に保つ。わたしの契約は彼にとって確かなものである。

わたしは彼の子孫をいつまでも彼の王座を天の日数のように続かせる。"

詩篇 89篇27~29節


これを歌います。宣言します。神様がこうおっしゃった、と歌うんです。イエス様の王権はなくならないし、今日もいつまでも王様です。天ではイエス様がほめたたえられています。


このイエス様を妊娠したのは、マリヤです。

マリアが妊娠した時に天の御使いは言います。

「あなたに生まれる赤ちゃんは、ダビデの子孫です。ダビデに誓われていた王様をあなたは産みます。」と。


(ルカ1.31-33)

見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。

その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。

彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」


マリヤは、戸惑ったと思います。男を知らないのに妊娠したことも戸惑ったけど、あのダビデの子孫、王様キリストがこの子?と驚いたと思います。


人は変わるし忘れられていきます。でも、神様の恵みの約束は永遠で真実です。それは変わりません。神様が誓った通りのキリストがダビデの子孫として来られました。もうイエス様の王権はスタートしています。そして、やがて誰の目にも明らかになると聖書に預言されています。


クリスチャンだけが、聖霊を受けた人だけが、これがイエス様のことだとわかる人です。僕らは特別に祝福されたものです。それがどんなに幸いか、喜びか、祝福か、15節からです。


(15)

幸いなことよ喜びの叫びを知る民は。主よ彼らはあなたの御顔の光の中を歩みます。

彼らはあなたの御名をいつも喜びあなたの義によって高く上げられます。


人は闇の中を歩みます。でも、聖霊によってイエス様の王権がわかる人は、神様の光の中を歩みます。

今日も神様は僕らに言ってくださいます。そして僕らも宣言します。

世界の王様はイエス・キリストです。

僕らの周りは暗く、僕らも引きずられて不安になりがちです。だからこそ、聖書は歌って覚えるように、歌って宣言するように、確認するように勧めます。


●もう一度来られるキリスト


すでに2000年前イエス様は誓いの通り来られました。そしてもう一度地上に来られます。もう一度来られた時には、本当にリアルに、誰の目にも明らかに、この世界はイエス様の王権の下になります。

クリスチャンに与えられる未来がどんなに凄いのか、みんなの心の目が開かれるように、いつも祝祷でこの祈りをしています。


「あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しにより与えられる望みがどのようなものか(…中略…)どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。」(エペソ1.18-19)


この祈りには続きがあります。


(エペソ1.20-21)

20,この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、

21,すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。


やがて来られたとき、イエス様はこの地上でも天上でも「すべての支配、権威、権力、主権の上」に立ちます。これは決定事項です。

そしてこの王権は終わることがありません。

この約束は絶対に変わりません。

33節はいいます。


"しかしわたしは彼から恵みをもぎ取らずわたしの真実を偽らない。

わたしはわたしの契約を汚さない。唇から出たことをわたしは変えない。

わたしはかつてわが聖によって誓った。わたしは決してダビデに偽りを言わないと。

彼の子孫はとこしえまでも続く。その王座は太陽のようにわたしの前にあり

月のようにとこしえに堅く立つ。その子孫は雲の上の確かな証人である。」"

詩篇 89篇33~37節


●まとめと適用


歌うことは、宣言することです。

皆さんの暗闇はなんでしょう。今置かれている苦しみはなんでしょう。

その中でも、天では約束された勝利のがあることを聖書ははっきり宣言しています。

そしてそれを歌おう、と言います。


妄想でなく、真実、不安でなく確かな約束を伝え、宣言し、確認することです。歌は伝え、覚えます。歌は僕らに確信を与えます。

人にも確信を与えます。


みことばの真実を歌いましょう。神様の約束の確さを歌いましょう。

いろんな動画を見ると思うけど、やっぱり毎日賛美しましょう。賛美の動画たくさんあります。御霊によって、音楽を聴くのでなくて、約束を一緒に宣言しましょう。


"私は主の恵みをとこしえに歌います。あなたの真実を代々限りなく私の口で知らせます。

私は言います。「御恵みはとこしえに打ち立てられあなたはその真実を天に堅く立てておられます。」"

詩篇 89篇1~2節