2025年4月2日水曜日

ルカ19.11-27

 ルカ19.11-27


当たり前だけど、僕らは相手のことをどう思っているかで態度が変わります。相手を喜んでいる人は、相手に喜ばれることをしたがります。逆に嫌いな相手なら関わること自体が負担です。その人から何かお願いされたとしてもやる気が出ません。大好きな相手なら喜び、動きは軽やかです。


そのように、神様のことをどう思ってるかで人は変わります。神様喜んでいる人は神様から何かを任されると喜び、張り切ります。神様をどう思っているかでその人のやる気や動きは変わります


イエス様は僕らを愛し、期待し、賜物を預けておられます。そしてイエス様の願いは僕らもイエス様を愛し喜んで、預けられたものを忠実に使うことです。イエス様はこれをたとえ話で教えてくださいました。



(12~13節)

イエスはこう言われた。「ある身分の高い人が遠い国に行った。王位を授かって戻って来るためであった。

彼はしもべを十人呼んで、彼らに十ミナを与え、『私が帰って来るまで、これで商売をしなさい』と言った。



この主人を愛し、喜ぶしもべは任されたことを喜び、商売をしてさらに儲けます。主人のお金が増えたことは自分の喜びです。



16~19節

最初のしもべが進み出て言った。『ご主人様、あなた様の一ミナで十ミナをもうけました。』

主人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。おまえはほんの小さなことにも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』

二番目のしもべが来て言った。『ご主人様、あなた様の一ミナで五ミナをもうけました。』

主人は彼にも言った。『おまえも五つの町を治めなさい。』"



ところが、主人を誤解して嫌っているしもべがいました。彼はお金を任されたことを喜べず、関わりたくないと思いました。主人は奪い、取り立てる怖い人、私を不幸にする人、悪い人だと思ったからです。ただこの任務から抜けられることだけを願ったようです。彼は主人のお金はなるべく触らず、布に包んでしまっておきました。



(20-21節)

また別のしもべが来て言った。『ご主人様、ご覧ください。あなた様の一ミナがございます。私は布に包んで、しまっておきました。

あなた様は預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取られる厳しい方ですから、怖かったのです。』



この話はイエス様と僕らの関係を教えています。イエス様は僕らを愛し、喜んで、期待して賜物を任せてくれています。もし失敗したとしても愛されていることに何の変わりもありません。それがわかる人は安心して能力を発揮します。イエス様は愛に満ちた方です。僕らを信頼して任せてくださっています。


怖いから何もしないか、それとも喜んで忠実に従うかどうかは、イエス様に対して安心しているかどうかがポイントです。成長する人、力を発揮する人はイエス様から愛され信頼されてることを知っている人です。


イエス様はパワハラ上司とは違います。無理な要求ばかりする横暴な王様ではありません。この王様がしもべに1ミナ預けたのはしもべを喜び期待しているからです。そして、同じようにイエス様が僕らに賜物を預けているのは、信頼し期待し喜んでいるからです。


イエス様だけでやった方が間違わないし、効率がいいです。でも、イエス様は違います。未熟な弟子たちに福音を委ねます。傷ついたり歪んだりしている凸凹な人たちの教会に賜物を預け、福音を預けておられます。それは愛してるし、受け入れてるし、喜び期待しているからです。



この話はたとえ話だけどリアルです。イエス様はリアルに地上の王として帰ってきます。ある身分の高い人が遠い国に行った。王位を授かって戻って来るためであった。」(12)とあるように、イエス様は王様としてこの地上に帰ってきます。


この王様が『よくやった。良いしもべだ。おまえはほんの小さなことにも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』とおっしゃったのもリアルです。

僕らクリスチャンはイエス様と一緒に地上を支配する人になります。イエス様は弟子たちに「わたしの父がわたしに王権を委ねてくださったように、わたしもあなたがたに王権を委ねます。」(ルカ22.29)とおっしゃいました。意外と知られていませんが、クリスチャンがキリストと一緒に支配者になることが聖書に多く書かれています。(2テモテ2.12、黙示録5.9-10、20.6など



イエス様が僕らに願っていることは、イエス様からの愛と信頼に喜んで応えることです。不信感がある人は従いません。そしてイエス様を喜び、安心して挑戦する人にはもっと多くを預けてくださいます。



(24~26節)

そして、そばに立っていた者たちに言った。『その一ミナをこの者から取り上げて、十ミナ持っている者に与えなさい。』

すると彼らは、『ご主人様、あの人はすでに十ミナ持っています』と言った。

彼は言った。『おまえたちに言うが、だれでも持っている者はさらに与えられ、持っていない者からは、持っている物までも取り上げられるのだ。



イエス様のことをどう思ってるかで人は変わります。イエス様をんでいる人は何かを任されると喜び、張り切ります。誤解している人は恐れと悲しみと重荷だけです。イエス様をどう思っているかで僕らのやる気も動きも変わります。

イエス様の願いは僕らもイエス様を喜び、預かっているものを使うことです。今日も小さな一つ一つのことをイエス様のためにやりましょう。思ってる以上に喜ばれ、期待されています。ハレルヤ!

0 件のコメント:

コメントを投稿