2022年12月22日木曜日

ローマ11.1-10

 僕らがイエス様を信じて喜んでいるのは神様が与えてくれた特別なめぐみです。 自分の努力とか行いではありません。100%神様が選んでくださり、与えて下さった信仰です。 誰も威張ることはできません。信じていない人を見下すこともできません。僕らの上にあるのはただ神様の恵みです


(6)

恵みによるのであれば、もはや行いによるのではありません。そうでなければ、恵みが恵みでなくなります。


誰がガンコになるか、誰が神様の声を聞き、従う心が与えられるか、それは100パーセント神様がお決めになる領域で、僕らがコントロールできることではありません。


(7-8)

では、どうなのでしょうか。イスラエルは追い求めていたものを手に入れず、選ばれた者たちが手に入れました。ほかの者たちは頑なにされたのです。「神は今日に至るまで、彼らに鈍い心と見ない目と聞かない耳を与えられた」と書いてあるとおりです


神様に従うことも、反抗することも、神様のみ手の中にあります。でも、同時に神様の願いはイスラエルが、そして全ての人たちが救われることです。命をかけて、十字架で血だらけになってもそう願っておられるイエス様です


(10.21)

そして、イスラエルのことをこう言っています。「わたしは終日、手を差し伸べた。不従順で反抗する民に対して。」

 

僕らがイエス様を信じて喜んでいるのはイエス様のいのちをかけてくださった恵みです。僕らの行いでも努力でもありません。誰も威張れません。今日も感謝しかありません。ハレルヤ!


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