2022年12月29日木曜日

民数記11.1-15

 神様は奴隷にされ苦しみ続けたイスラエルを解放し、荒野で食べ物を与え養ってくださいました。昼は雲で太陽の炎熱から守り夜は火で彼らを寒さから守り続けてくださいます。神様が良くしてくださったことは数えあげればキリがありません。ところが人の愚かさは神様の恵みよりも、不平不満を探し、数え上げます。与えられているものを感謝するよりも足りないものを探して文句を言うことは人間の得意とするところです


(1-6)

さて、民は主に対して、繰り返し激しく不平を言った。主はこれを聞いて怒りを燃やし、主の火が彼らに向かって燃え上がり、宿営の端をなめ尽くした。すると民はモーセに向かってわめき叫んだ。それで、モーセが主に祈ると、その火は消えた。

その場所の名はタブエラと呼ばれた。主の火が、彼らに向かって燃え上がったからである。

彼らのうちに混じって来ていた者たちは激しい欲望にかられ、イスラエルの子らは再び大声で泣いて、言った。「ああ、肉が食べたい。

エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。きゅうりも、すいか、にら、玉ねぎ、にんにくも。

だが今や、私たちの喉はからからだ。全く何もなく、ただ、このマナを見るだけだ。」


モーセはいつも人々に文句を言われる立場ですそしてモーセは人々の罪を神様言い、赦しを祈ります。リーダーとは人に仕える者です。そして、「モーセが主に祈ると、その火(神様の怒りとさばきの火)は消えた。」(2)とあります。イエス様はまさにそのようなリーダーです栄光ある神様でありながら地に降りてこられ、人々から文句を言われて、そして人々のために赦しを祈り、身代わりに殺された方です


人間は弱いものです。「ああ、肉が食べたい。エジプトで、ただで魚を食べていたことを思い出す。」と言う一部の人たち(イスラエルに混じって来た人たち)の不満に引きずられて、イスラエル人全体が不平不満の大合唱になってしまいました。彼らの不満はモーセに向かい、泣き叫び、『肉を与えて食べさせてくれ』と言ったようです。(13)これはモーセには苦しいことです


10

モーセは、民がその家族ごとに、それぞれ自分の天幕の入り口で泣くのを聞いた。主の怒りは激しく燃え上がった。このことは、モーセにとって辛いことであった。


モーセはひたすら神様に求めます。こんなに苦しいなら、殺してください、と訴え続けます。


11-15)

それで、モーセは主に言った。「なぜ、あなたはしもべを苦しめられるのですか。なぜ、私はあなたのご好意を受けられないのですか。なぜ、この民全体の重荷を私に負わされるのですか。私がこのすべての民をはらんだのでしょうか。私が彼らを産んだのでしょうか。それなのになぜ、あなたは私に、『乳母が乳飲み子を抱きかかえるように、彼らをあなたの胸に抱き、わたしが彼らの父祖たちに誓った地に連れて行け』と言われるのですか。どこから私は肉を得て、この民全体に与えられるでしょうか。彼らは私に泣き叫び、『肉を与えて食べさせてくれ』と言うのです。私一人で、この民全体を負うことはできません。私には重すぎます。私をこのように扱われるのなら、お願いですどうか私を殺してください。これ以上、私を悲惨な目にあわせないでください。」


聖書は、「いま持っているもので満足しなさい。と言います。(ヘブル13.5)満足する理由は「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」からです


自分は感謝していても、他人から不満や怒りをぶつけられることがあります。それは僕らが神様に取りなすための機会ですモーセはひたすら文句を言われ、神様に自分の苦しみや重荷を祈り続けました。モーセの祈りは赤裸々です。「なぜ、この民全体の重荷を私に負わされるのですか。」「私一人で、この民全体を負うことはできません。私には重すぎます。」「これ以上、私を悲惨な目にあわせないでください。」


モーセは人々の不満と罪ゆえに苦しめられ、祈らされたように、僕らも他人の不満や罪のために祈る役目が与えられています。イエス様はいつも文句を言われる側でした。そして人の罪ゆえに十字架で苦しみ、祈ってくださいました。僕らもその役目が少しだけ与えられています。

神様のために苦しむなら幸いだと聖書は言います。(1ペテロ4.14)「キリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。それは、キリストの栄光が現われるときにも、喜びおどる者となるためです。」(1ペテロ4.13)


今日も全てのことを感謝する日でありますように。不満や不安ゆえに文句を言う人たちの分まで祈る日でありますように。

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