愛することは、相手のために自分の好みや自由を制限することです。相手はキリストが代わりに死んでくださったほど大切な人だからです。(15)いくら自分が確信を持っている作法であっても、相手のためにそれをやめることもできます。それは神様に喜ばれることです。
(21-22)
肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、あなたの兄弟がつまずくようなことをしないのは良いことです。あなたが持っている信仰は、神の御前で自分の信仰として持っていなさい。
自分には良いことでも相手をがっかりさせることがあります。そのような言動は、自分に良いことであってもすべきではないと聖書は教えています。
(13)
兄弟に対して妨げになるもの、つまずきになるものを置くことはしないと決心しなさい。
(15-16)
もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているなら、あなたはもはや愛によって歩んではいません。キリストが代わりに死んでくださった、そのような人を、あなたの食べ物のことで滅ぼさないでください。
ですから、あなたがたが良いとしていることで、悪く言われないようにしなさい。
迷ったら、どちらが愛することか、相手を霊的に成長させることかを考えましょう。自分の好みは手放しても大丈夫です。むしろそうすることが神様に喜ばれます。喜んで手放しましょう!
(18-19)
このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々にも認められるのです。ですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つことを追い求めましょう。
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