ヨハネ16.13-15
イエス様の弟子たちの多くは漁師で、学歴でいうと無学な人たちです。そして、今もクリスチャンはそういう人が多く「この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。」と聖書は言います。(1コリント1.26)そんな彼らが御霊に満たされて聖書を書きました。そして同じ御霊が僕らにも与えられ「すべての真理」を理解することができるようになっています。
(13)
しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。
どんなに賢い人でも御霊が与えられないと聖書は理解できません。ところが、イエス様を信じるならどんなに無学でも真理を知ることができます。御霊がいつもイエス様のことばを教えてくださるからです。その時に「あの人すごーい!」「この人は正しい!」とはなりません。イエス様がだけが誉めたたえられます。「御霊はわたしの栄光を現されます。」とある通りです。
(14-15)
御霊はわたしの栄光を現されます。わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。
父が持っておられるものはすべて、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに伝えると言ったのです。
今日もこの世の賢い人たちが僕らを振り回そうとします。経験のある人、正しそうな人、立派そうな人が栄光を受けようとします。教会の中でもそうなりがちです。ところが真理の御霊はあの人でもこの人でもなく、圧倒的なイエス様の知恵、恵み、憐れみを現し、僕らはひれ伏しひざまづきます。
(1コリント1:19-20)
「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする。」知者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
(1コリント1:27-28)
しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。
どっちが正しいかと心配しすぎなくても大丈夫です。自分で正解を出そうと頑張りすぎなくても大丈夫です。たとえ間違っても御霊はちゃんとその罪を教えてくださいます。
(8)
その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。
人から責められ迫害されたりされても大丈夫です。弁明しようとしなくても大丈夫です。御霊が最高の対応を与えてくださるからです。イエス様が御霊によってすべての真理と知恵を与え続けてくださいます。その時にも僕らはイエス様だけを誉めたたえます。
(マタイ10:19-20)
人々があなたがたを引き渡したとき、どのように話そうか、何を話そうかと心配するには及びません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。
(ルカ 21:15)
どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。
答えはイエス様が賛美されることです。今日も僕らは真理を知らされています。イエス様以外に栄光はありません。感謝しましょう。賛美しましょう。ハレルヤ!
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